安倍首相とプーチン露大統領、都内で会談

都内の首相官邸での昼食会に向かう、安倍晋三首相とロシアのウラジーミル・プーチン大統領(2016年12月16日撮影)〔AFPBB News

 先週、11年ぶりにロシアのヴラジーミル・プーチン大統領が訪日したが、平和条約・領土問題交渉では日本側が期待した大きなサプライズはなしという、多々報道されている通りの結果に終わった。

 来日の数日前に読売新聞によるプーチンへのインタビュー記事が出て、彼がそこで「本音」らしきを詳細に語っていることから、ネタバレのフィナーレを見せられた感がなきにしも、である。

 その影響を受けてか、訪日後に出された幾多のメディアや研究者からのコメントは、訪日前の繰り返しや既知の事実を追っているだけ、というやや気抜けしたもののようにすら見える。

 安倍晋三政権が2021年まで続く可能性もあるから、その時までに解決すれば、とかの取らぬ狸の出現に至っては、何かを言わねばならない立場の苦しさをただお察しするのみ。そして、なぜこういう結果になったのかについて彼らの探索は始まったばかりだ。

日米安全保障条約を突いてきたプーチン

 その読売のインタビュー記事や、安倍首相との共同記者会見でプーチン大統領自身が述べた言葉には、日本に対して北方領土の返還と日米安全保障条約との関係を新たに突いてきたと指摘される部分がある。

 この点が多くの論者にも注目され、日米安保条約ある限り島は返せない、というに等しいから交渉のバーを引き上げてきたもの、と解する向きもおられる。

 だが、思い起こせば、調印60周年を迎えた日ソ共同宣言も、合意・批准から数年後に日本が日米安保条約を締結したために、当時のソ連がこれに反発して2島返還の合意撤回を一方的に宣言している。

 条約相手がある話だからこれで済まされるべくもないのだが、状況が変われば過去の約束事も反故、というロシア人の伝統芸が当時から発揮されていたわけだ。

 今の米ロ関係は、第2次世界大戦終了からの10年間や、ミハイル・ゴルバチョフ氏登場前の1980年代前半の時代と似たような刺々しい状況にある。プーチン大統領が安保条約を問題視するのも、彼にすれば当然のことなのだろう。

フョードル・ルキヤノフ氏が説くように、プーチン大統領が日本に信用を置くようになるのは、日本が思っているほど簡単ではないようだ。西側に騙され続けたとの思いは根深い。

 そうしたプーチン大統領の主観をさて措いても、返還後にそれ以前よりロシアの安全保障に大きなマイナスが出るなら、返還そのものに応じるわけにはいかない、とはロシア人ならずともごく自然に出てくる反応だろう。