前回の読書ガイド(こちら)で紹介した『最後の秘境 東京藝大』の売れ行きがすこぶる良い。

 読後、東京藝大に対する興味が止まらなくなった私は、聖地巡礼とばかりに上野キャンパスへと出かけた。

 この本には人を動かすパワーがあるとか吹聴しながら、結果的には「美校」の敷地には足を踏み入れたものの建物内にはさすがに入れず、一方の音校にいたっては、見えない結界にでもさえぎられたかのように門にすら近づけなかった。凡戦である。そこで私は自分を見つめなおそうと、さらなる読書へと没頭したのだった。

 ということで、今回は秋の夜長に自分のなかの一抹の寂しさと向き合う3冊を紹介する。

今年あと1冊だけ読むならこの小説

みかづき』(森絵都・集英社)

『みかづき』 森絵都著、集英社刊、税別1850円

「今年、小説を読むのに割ける時間があるとしたら1冊分だけだ」という人がいたとして、もし私に選書をお任せいただけるなら、迷わず本書を勧めるだろう。

 本書を読んでのち、時間に追われていたとしても、ふと見上げた夜空に浮かぶ三日月に、もう少しだけ頑張ろうという気持ちになるだろうというのがその理由だ。控えめに言っても、本書は極上の1冊なのである。

 本書の登場人物たちの情熱には並々ならぬものがある。迷い、打ちのめされ、妨害にあいながらも、ある者はそれが自分の使命だと信じて、またある者は過去の消し難い屈辱から、事をなそうと努力を続ける。彼らが一生を捧げたもの。それは日本の戦後教育だ。

 しかし、教育は教育でも、彼らは日本の教育における大本にして本流である学校教育の現場で活躍する人々ではない。学校教育を「陽」とすると「陰」の存在。本書は、存在を知られてはいても、腫物のように扱われてきた「学習塾」をテーマに据えた小説である。

 影ながら日本の教育を支えてきた親子三代と、傍らでその艱難辛苦を支える人々が丹念に描かれるが、時代の移り変わりとともに変遷してゆく教育を、著者は軽やかな文体で綴ってゆく。

 敗戦した日本が翌々年には、新たな学校教育法の下で6年制の小学校・3年生の中学校を義務教育とする「6・3制」を成立し得たのは、貧しくて何もなかった焼け野原の時代に、教育の再興だけには金と力を惜しまずに注ぎ込んだからだと本書にあるが、その「6・3制」とそれほど時を経ずして学習塾は誕生に至った。

 前半部でも主人公の信念として描かれているのだが、学習塾の当初の目的は学校の授業についていけない子らに対しての救済の意味合いが強かった。昭和40年代にその数を急激に伸ばした学習塾は、先に軽く触れたが文部省(現・文部科学省)にその存在を疎まれ、白い眼で見られてきた歴史があるという。

 昭和50年代生まれの私は、その事実を本書で初めて知った。考えてみれば、公に国家の教育方針を示した文部省の穴を指摘するようにカリキュラムが組まれる塾は、文部省側から見れば面白くない存在だろう。ケチをつける憎い奴なのである。

 本書は世代を下りながら3人の視点で描かれる。