句碑の前で自作を語る97歳の金子兜太さん

 世間はTPP採決でかまびすしく、学問芸術の秋だというのに芸術系大学の学園祭ではパクリ関連の葬儀イベントの何のと、およそ感心するものを目にしません。

 芸術人のコラムでありますので、一服の清涼剤となるような文化・芸術の話題をお届けしたいと思います。

 「文化の日」である11月3日、俳人の金子兜太さんの句碑除幕式が埼玉県秩父郡は長瀞町、宝登山神社で執り行われ、お招きをいただいて列席してきました。

 金子さんとのご縁は非常に不思議です。春先、明治大学で開かれたシンポジウムに参加された金子さんのお話を伺い、戦時中に出陣された南洋トラック島での経験、また96歳(当時)とはどう考えても思われない矍鑠としたお話しぶりに深く感動を覚えました。

 たまたま共通の編集者があり、8月9日長崎原爆の日に安田講堂で開く哲学熟議12「不戦の歳時記」に登壇をお願いしたところ、ご快諾いただけ、そこでも本当に貴重なお話をうかがうことができました。

安田講堂でのイベント

 この日は新潮社のご協力のもと、野坂昭如原作、高畑勲監督のアニメ―ション「火垂るの墓」を上映したのち、高畑監督、金子さん、やはり俳人の黒田杏子さん、哲学科の一ノ瀨正樹教授というメンバーでの公開ディスカッション・トークを行いました。

 80歳になられる高畑勲監督が、96歳の金子さんの前ではまるで若々しい青年のようで、本当に清々しい場を持つことができました。

「不戦の歳時記」左から高畑勲、金子兜太、机を挟んで黒田杏子、一ノ瀨正樹の各氏。2016年8月9日、東京大学安田講堂にて

 私は基本、一切話はせず、オーガナイズの雑務はすべて責任を持ちましたが、本番では、ただ金子さんの句3つに作曲した室内楽作品など、本分の音楽だけでご一緒させていただきました。

 私事ながら、金子さんは私の父と同じ大学学部で6級上に当たられます。

 昭和18年3月に大学をご卒業、日銀に入られた後、志願して海軍主計学校に学ばれ、士官として南方に向かわれ部下の大半を失い、ご自身も幾度か命拾いされたのち奇跡的に復員、日銀に復職後は反骨の前衛俳人として戦後の零時から今日まで70余年、筋道を通しておられるのは、ご存じの通りでしょう。