空港の離発着の電光掲示板にも、巨大な国王の写真と追悼メッセージが掲げられている(筆者撮影)

 タイの“ハリー・ポッター”と言われる小説「トーンデーン物語」。

 今から約10年ほど前発売され、国民的大ヒットとなったことからそう呼ばれ、アニメにもなった。子供から大人までタイで知らない人はまずいない。

 物語は、身寄りのない捨て犬の主人公が、王族という新しい家族を得て、これまで想像もつかなかった第2の人生を謳歌させるハッピーエンドのお話。

 彼女の名前は、「クン・トーンデーン」。「クン(Khun)」とは敬称で、トーンデーンはタイ語で「赤銅色」を意味する。

 世界の王室には英国のエリザベス女王を筆頭に無類の愛犬家の国王や女王がいるが、先頃亡くなったタイのプミポン国王も犬を愛してやまなかった。

国王から片時も離れなかったクン

 “クン”は、プミポン国王が寵愛した愛犬の「ロイヤルドッグ」(王室犬、雑種の雌)のこと。体毛が赤っぽい色だったため親しみを込め、国王が自らそう命名した。

 シンデレラ物語を自でいくかのように“平犬”から“王犬”へと身分が変ったクン。昨年12月、「享年17歳」と人間の年齢で言えば約120歳の大往生を遂げるまで、国王はまるで自分の子供や分身のように全幅の信頼をクンに寄せた。

 国王とタイ首相との“首脳会談”から、王室のセレモニー、病院など各地への視察、町でのお買物・・・。どこに行くにも国王の傍らには、クンがいた。

 国王は自ら執筆したこの小説の中で、「常に人の心を察し、しかもとても聡明。容姿も優れている」とまるで自分の“娘”のようにかわいがり、「ナマズの観察も大好きでお手の物だ(笑)」と国王の趣味にも興味を注ぐクンを深く愛し、クンが描かれたクールなTシャツに身を包むのが好きだった。

 王室への名誉毀損などを禁じるタイの不敬罪は、世界で最も厳格で、最長15年の禁錮刑が科される。

 昨年末には、クンを「風刺」するコメントを投稿したとし、男性が同罪で逮捕され懲役30年ほどの刑に問われた事件があった。不敬罪は王族である「王犬」にも適用されるのだ。

 もともと動物収容所から、あわや殺処分となるところを国王に助けられた野良犬は、才色兼備なロイヤル・ドッグとして、その恩義を返すかのように、国王への忠誠心を貫き、国民からも深く愛された。

 タイでは当時、軍がクーデターを頻繁に起こし、政治的混乱で国内事情は混迷を極めていた。

 これを案じた国王はクンを主人公にした小説を執筆することで、自分の身分を理解し、任務を全うしたクンを通し、罪のない国民に軍や政治家がそれぞれの野望や私欲を強いる異常な状況の中、彼らに分をわきまえるよう促そうとしたとされる。

 そして歴史的な大ベストセラーとなった。