アラビア半島南端の国イエメンから、米国宛に送られた航空貨物の中に爆発物が見つかり、さらなる航空機テロへの懸念が広がっている。

収まることのない航空機テロへの恐怖

イエメンの伝統的建築物にアリ・アブドゥラ・サレハ大統領の肖像が掲げられている

 早速、「アラビア半島のアルカイダ」が犯行声明を出し、今後は旅客機も対象にするとしたから、空の安全への不安は深まるばかりである。

 あの9.11世界同時多発テロが起きて以来、航空機ハイジャックと言えば、「乗っ取り=自爆テロ」犯による航空機爆破という、いきなり死に直結するイメージとなってしまった。

 しかし、1960年代末から70年代にかけて、頻繁に発生していたパレスチナゲリラなどによるハイジャックでは、パレスチナ紛争や東西冷戦の構図の中での政治的敵対国への進路変更を要求し、乗客は人質となってしまうというものが多かった。

 日本人には犯人たちが北朝鮮へと逃れた1970年のよど号事件が強烈な印象を残しているが、劇的な結末を迎え世界中の人たちから注目を集めたハイジャック事件は、それから6年後にアフリカで発生した事件だった。

 1976年、アフリカ・ウガンダのエンテベ空港奇襲作戦により人質解放に成功したエ-ルフランス機ハイジャック事件である。

アミン大統領が一躍有名になった事件

 ユダヤ人を多数乗せ、アテネからパリへと向かうはずだったエアバスA300がPLO(パレスチナ解放機構)の一組織PFLPを中心とした4人の若者にハイジャックされ、エンテベ空港へと降り立ったことから、時のウガンダ大統領イディ・アミンが一躍国際舞台に登場することになる。

 ボクシング・ヘビー級国内チャンピオンだった巨体の持ち主で、『食人大統領アミン』(1981)などと、映画でもその奇異な人格を揶揄された大統領である。

 当時としてはありきたりの「社会主義政権からの自由解放」という名の下、西側の支援を得たクーデターによって国家元首の座を乗っ取り、独裁政策でその座を守っていたアミンが事件解決のキーパーソンとして世界中の注目を浴びるようになった。

 もともと、親イスラエルを掲げ、事件の舞台となったエンテベ空港の整備をはじめとして強力な援助を受けていながら、自身がイスラム教徒だからと唐突に親アラブへと転じ、事件当時はイスラエルとは断交していた。