東大は何をしていたか?

 1993年という年、1945年生まれの大隅先生は48歳で、東京大学教養学部の助教授のポストに居られました。以下、公開情報から大隅先生の研究誌を振り返ってみましょう。

 福岡でお生まれになり1967年東京大学教養学部を卒業、そのまま東京大学理学系研究科に進まれ72年に博士課程を単位取得退学、74年29歳で免疫に関する仕事で理学博士の学位を得、「職がないので」米国ロックフェラー大学、ジェラルド・エーデルマンの研究室に留学されます。

 受精系に関する仕事を手がけられたのち、1977年から86年まで東京大学理学部で助手、86~88年にかけては講師を務められ、88年にホームグラウンドである教養学部の助教授として着任されます。ときに43歳。

 当時の東大は「助手」はいまだ教授の「助手」アシスタントで、研究テーマから時間の自由まで、様々にままならぬ状況が続いたらしいことが察せられます。

 ようやくご自身の城を得られ、それまで手がけられた仕事の大半は人に譲って、43歳にして自分のテーマを存分に追究できるようになった大隅先生が取り組まれたのが、地味であまり注意を惹かなかった「オートファジー」の問題であったようです。

 1993年、前述のように画期的な業績を挙げられたとき、大隅さんはすでに48歳に達しておられました。

 が、その後51歳になるまで、東京大学は大隅先生を助教授のまま遇し、ついに正教授に上げることなく、岡崎国立共同研究機構の基礎生物学研究所に転出されることになります。研究所は研究には適した環境ですが、若い学生が毎年入って来るという場所ではない。

 すでにノーベル賞単独受賞の業績を挙げていた大隅先生を、東京大学は3年に渡って放置したうえ、ヒラの教授に上げることもないまま人事上失うという顛末がここにあることは、多分他の誰も指摘しないと思いますので、記しておきたいと思います。

 こういうことをしていては、大学はいけません。東京大学は最大級の反省をもって自ら顧みる必要があると、現在も東京大学教員の1人である立場から指摘するところまでで、ここは止めておきたいと思います。

問われる「ノーベル賞以降」

 オートファジーの分子生物学は、まさにこの、率直に記しますが、東大の中で必ずしも相応しい待遇を得ていたか大いに疑問のある48歳の大隅助教授によって爆発的なブレークスルーがもたらされます。

 その価値に早い時期で気づいた人々には、大いに先見の明があったというべきでしょう。

 オートファジーはあまりにも普遍的で、当たり前の生理機構であり、またこれが一端不順となると、深刻な疾病を個体にもたらすことが考えられます。