「仕事=辛いこと」とは限らないのでは?(写真はイメージ)

 あらためて、私が独立をしたのは何のためだろうと突き詰めて考えてみると、世界を変えるとか誰かを救うとかいうことはいったん脇に置いておくとすれば、より充実した人生を楽しみたかったからです。そのためには、仕事と遊びの境界線を無くすのが理想的だと考えています。

遊ぶように働き、働くように遊ぶ?

 暗黙の了解のように、仕事とは「辛いけれども我慢して時間を売り、給料をもらう行為」であり、遊びとは「お金にはならないけれども、やりたいように楽しんでする行為」であるという考え方があります。まあ、言葉の意味としては概ねそういうことであり、それほど異論はないのではないでしょうか。

 では、なぜ仕事は「辛い」のでしょうか。それは恐らく、他人から強制されてやっているからでしょう。自分の利益のためではなく、他人の利益のために、必ずしも自分がやりたいことではない仕事もやらなくてはならないからだと思います。言い換えると、仕事とは「他人の人生を生きている時間」であるから楽しくないのです。

 一方で、遊びはなぜ「楽しい」かというと、それが純粋に自分のためだからでしょう。他人に強制されておらず、やりたくなければやらなくてもよい。やりたいことだけをやっていれば、楽しくないはずがありません。逆に言うと人は皆、楽しい遊びしかしないはずです。遊びとは「自分の人生を生きている時間」であるから楽しいのです。

 では、「遊ぶように働き、働くように遊ぶ」とは具体的にはどのようなことかと言えば、「自分の人生を生きながらにしてお金を稼ぐ」ということになるでしょう。もちろん、言葉遊びとしては「他人の人生を生きながらにしてお金をもらえない」という定義もできるのですが、そんなの理想的な状態のはずがないですよね(笑)。