グリーンランドの気温が過去最高に、氷床の融解進む

グリーンランド南部のHeimdal氷河〔AFPBB News

 10月8日に行います国大協・大学改革シンポジウムの案件でドイツ側(ミュンヘン工科大学)とやり取りをしている中で「なぜ日本には高等教育に戦略が皆無なのか?」という素朴な疑問を寄せられます。

 日本の高等教育に戦略がない?

 文科省や大学経営陣が下手に耳にすると怒りだしそうな表現ですが、これは海外から見ると文字通りで、人材育成に関して国としてのビジョンがほぼ、ない。

 例えば医者不足、弁護士不足といった話が出、医学部や法科大学院の定員をいじったりすることはあっても、それで本当に問題を解決するところまでプロフェッショナルを育成する制度設計まで話が進むか、と言えば・・・全然解決していませんよね。

 ドクターヘリは飛ぶようになったけれど、今もって無医村は無医村、過疎地は過疎地。

 東京にはやたらたくさんの弁護士事務所があり、司法修習の教官から「ここにいる人の何割かは以前なら絶対に司法試験に合格していなかった人が混ざっています」とか嫌味を言われます。

 一方、地方に行くと法曹は圧倒的に人材が不足して、特定の街の弁護士事務所がオーバーフローといった状況が大きく変わったという話は聞かない気がします。

 違う、という方がおられましたら、どうか実例をお教えください。以下では「残念な日本の現状」を前提に、高等教育と次世代人材育成において「日本には戦略が欠如している」と言われるゆえんを、検討してみたいと思います。

医局崩壊と研修医

 医師が一番分かりやすいので、ここから話を始めましょう。人間の健康や病気、生命に関わることですから、誰もが社会的な必要性を認める職掌であるからです。

 日本の医療制度は、国際的に見れば良い方だと思います。国民皆保険、医療サービスは充実し世界有数の長寿国にもなった。

 と同時に少子高齢化や医療費のパンク懸念など、別の問題も生み出している。

 こういう観点はグローバルに論じられますが、医療関係者の次世代人材育成という点では必ずしも問題解決に直結したシステムが確立されているとは言えません。

 かつて存在したインターンをつけ替えるような「医局支配」は「研修医制度」が導入されて「崩壊した」と言われます。

 かつて、戦後の日本では医学部卒業後、臨床現場での徒弟見習い期間を経て医師国家試験の受験資格が与えられる、という時代があり、この間は学生でも医師でもなく、若い医者の卵たちは実質ただ働きさせられていました。