(英フィナンシャル・タイムズ紙 2016年8月31日付)

アムネスティ、欧州の「恥ずべき」難民対応を非難

マケドニアのゲブゲリヤ付近で、ギリシャとの国境を越える移民(2016年2月23日撮影、資料写真)。(c)AFP/Robert ATANASOVSKI〔AFPBB News

 自由民主主義とグローバル資本主義の結婚は長続きするものなのだろうか。西側諸国における昨今の政治状況――特に、世界で最も重要な民主主義国で権威主義的なポピュリストが大統領候補になっていること――ゆえに、この問いかけの重要性は高まっている。

 西側世界を導き、そのほかの国々にとっても過去40年にわたって西側の魅力の源泉になっている政治経済システムの成功は、決して当然視できるものではない。では、このシステムがもし機能しなくなったら、その次に登場するのはどんなシステムなのだろうか。

 自由民主主義(普通選挙権と確固たる公民権・人格権)と資本主義(財、サービス、資本、そして自分自身の労働力を自由に売買できる権利)との間には、自然なつながりが存在する。民主主義と資本主義は、人は個人および市民として自ら選択すべきだという信念を共有している。双方とも人には主体的に行動する権利が備わっているとの見方を前提としている。人間はほかの人間が権力を行使する対象としてだけでなく、主体的行為者でもあると考えなければならない、ということだ。

 とはいえ、民主主義と資本主義の間に緊張関係も存在することは容易に分かる。民主主義は平等主義で、資本主義は反平等主義だ。少なくとも、結果に対してはそうだ。経済の低迷が続いたら、過半数の人々は1930年代と同様に権威主義を選択するかもしれない。経済活動の結果があまりに不平等なものになったら、裕福な人々は民主主義国家を金権国家に変えてしまうかもしれない。

 歴史的には、資本主義の発展と、選挙権の拡大を求める圧力の高まりが両立していた。世界で最も裕福な国々が、多かれ少なかれ資本主義の経済を備えた自由民主主義国であるのはそのためだ。幅広い層の人々が実質所得の増加を享受したことが、資本主義の正当化と民主主義の安定化において極めて重要な役割を果たした。

 だが、今日の資本主義では、そうした豊かさの向上を生み出すことが以前よりはるかに難しくなっている。それどころか、不平等の拡大と生産性の伸びの鈍化を裏付ける証拠がある。この有害な組み合わせは、民主主義を不寛容にし、資本主義の正当性を蝕む。