子供たちに見守られながら移転地に整備された井戸の様子を確認する菊池淳子さん(右から3人目の青いシャツ)とプロジェクトメンバー

2016年春、東京

 「私たちが目指しているゴールは同じなんです」

 耳に届いた言葉の意味が一瞬理解できず、メモを取る手を止めて顔を上げると、意外なほど屈託のない2人の笑顔が並んでいた。店内に満ちていた喧騒がすうっと遠のいていく。

 ティラワ経済特別区(SEZ)開発の移転住民たちが新しい環境に馴染み、安定した生活を送れるよう支援する国際協力機構(JICA)の「生計回復支援プロジェクト」で総括を務める日本工営の菊池淳子さんと、開発による貧困がなくなり、住民が政策の意思決定に参加できるようになることを目指し活動している日本のNGO担当者。

 たまたま一時帰国のタイミングが重なった2人と急きょ東京で落ち合うことにしたこの日、ずっと感じていた疑問が、アイスコーヒーのグラスに浮かぶ氷のように、からん、と小さな音を立てて溶けていった。

 政府開発援助(ODA)の本格再開に合わせ、定期的にミャンマーに通い始めたのは2013年2月のことだ。両国の象徴プロジェクトであるティラワSEZ構想には、当然、最初から関心を持っていた。

 それでもこの3年間紹介しなかったのは、運輸交通分野、特に鉄道協力の進捗を取材し、現場の様子を伝えるという主目的に直接関係しないと思ったからだ。

 いや、正直に言おう。鉄道分野ではなくても、取材の機会に恵まれた話題は、日緬関係の一側面として積極的に紹介してきた。それでもなおティラワを取り上げなかったのは、住民移転の問題抜きには書けないと思ったからにほかならない。

 それは、かつて近隣国のインフラ事業に携わった際に類似の問題に直面し、記事の持つ力と危険性について考えたことがきっかけで今の仕事を志した筆者にとって、格別の覚悟と気合いが必要なテーマだった。

 しかし、そうしている間にも、折に触れ、さまざまな情報が断片的に入ってきた。

 さらに、当初は対峙していた現地のキーマンがプロジェクトに協力するようになったとか、菊池さんが冒頭のNGO担当者と頻繁に意見交換していると聞いて、ついに尋ねずにいられなくなったのだ。

 「なぜ、そんなことが可能なのですか」と。