批判から対話へ

 「生計回復支援プロジェクト」が始まったのは、そんな時期だった。業務主任者に手を挙げた菊池さんには、ある思いがあった。

 これに先立ち、JICAが2013年5月より実施していた住民移転計画の策定支援にも携わっていた菊池さん。問題がこじれ、住民の生活再建が滞っていくのを見て「NGOの見ている真実を知りたい」と考えるようになり、「業務主任者として責任を取るので、NGOと直接話をさせてほしい」とJICAの竹内さんに相談した。

 その思いをくんだ竹内さんは、前例のない取り組みだったが、日本側の関係者の理解を得るために奔走し後押しした。

 2014年秋、菊池さんは、元英国大使で、現在はミャンマーで巨大事業を進める企業に対して社会的責任(CSR)の推進と助言を行うミャンマー・センター・フォー・リスポンシブル・ビジネス(MCRB)を率いるヴィッキー・ボウマンさんを訪ねた。

 「関係者間の不協和音がいつまでも続けば、彼らの生活再建が遅れてしまう」

職業訓練の一環で行われているミシン講習会の様子

 そう訴えた菊池さんに、ボウマンさんは言った。「あなたの主張は分かりました。それなら関係者を紹介するから、あなたの言葉でNGOと話してみなさい」。

 翌日から菊池さんは、ミャンマー政府に異を唱えていた住民やNGOオフィスを順に訪ねた。最初は彼らの批判や不満を黙って聞くだけだったが、2カ月間、ほぼ毎日話し合いを重ねるうちに、菊池さんの言葉に耳を傾け、住民のためにできることについて話し合える人も現れ始めた。

 膠着状況が動き出した瞬間だった。 その1人、僧侶のサンダーワラさんは、もともとティラワの出身だ。

 長年、地元のコミュニティー開発に携ってきた経験から、SEZの開発の陰で住民の生活が困窮しないよう活動していたが、「関係者が足並みをそろえて取り組まなければ、移転住民の生計回復が進まない」という菊池さんの言葉に賛同し、「メディエーター」として住民や政府など、関係者間の調整・仲裁役を買って出るようになった。

 また、ゾーラさんとはパウンクーのオフィスで出会った。日本に14年間滞在し、日本語が堪能なゾーラさんは、当時、「敬愛する日本には、もっと人々に寄り添うよう、ミャンマー政府に働き掛けてほしい」と思い、住民への適切な補償支援を求め活動していた。