今年で第100回となるピュリッツァー賞が、4月18日、発表された。

 公益(Public Service)部門で、米国に海産物を供給する東南アジア水産業の苛酷な労働実態を伝えたAP通信が、ニュース速報写真部門で、ロイターとニューヨーク・タイムズの欧州難民危機報道が選ばれた。

 「イエロージャーナリズム」により大きく発行部数を伸ばしたことで知られるニューヨーク・ワールド紙の経営者でもあったジャーナリスト、ジョセフ・ピュリッツァーの遺志で、1917年、創設されたピュリッツァー賞。

 その受賞対象は米国を拠点とする新聞(今はオンラインメディアも)に掲載されたものだが、取材対象は世界中、ジャーナリストも国籍は問われず、過去、3人の日本人受賞者もいる。

日本人受賞者の1人、沢田教一

 『サワダ SAWADA 青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン沢田教一の生と死』(1996)は、そんな日本人ジャーナリストの1人、沢田教一を追ったドキュメンタリー。

 1970年10月、プノンペン近郊で狙撃され、34歳の生涯を閉じたことが、冒頭、伝えられる。続いて示される沢田の撮った写真の数々。

 1965年9月、ベトナム中部で、攻撃が続くなか、子供を抱き川の中を必死に岸へと向かう2組の家族の姿を捉えた「安全への逃避」もある。

 そこから、肉親やジャーナリストなどの証言を交え、第2次世界大戦から第1次インドシナ戦争、ベトナム戦争へと進む歴史と平行しながら、生涯が語られていく。

 UPI通信東京支局写真部に入社した沢田は、写真家として満足できる仕事を得られず、1965年2月、休暇願を出し、自費でベトナムへと飛ぶ。そこで撮った写真で実力を示すと、7月、サイゴン支局員となり、9月には「安全への逃避」のショットをものにする。

 そして、1966年、戦地の人々の苦痛を語る「安全への逃避」をはじめとしたベトナムの写真で、ピュリッツァー賞報道写真部門を受賞するのである。