30年前、計画経済の行き詰まりによって中国は市場経済へとレールチェンジした。冷戦が続く中で社会主義計画経済に終止符を打ったことは、鄧小平の何よりの偉業だった。

 しかし、北京大学の張維迎教授(経済学)は、「鄧小平は最初から市場経済を構築しようとしたわけではない」と指摘している。当時、市場経済に制度移行すれば、社会主義の基盤である公有制が完全に壊れてしまうと心配されたためである。

 何よりも「市場経済=資本主義」という当時の固定観念は、「改革開放」政策にとって最大の障害だった。それを突破するために、鄧小平は「社会主義市場経済」を構築すると号令し、党内の保守派を封じ込めた。

 しかし、社会主義市場経済とは何かについて、いまだに明らかになっていない。

「改革開放」政策の歩み

 改革開放政策は、「発展こそが揺るぎない道理だ」という鄧小平の言葉が表すように、経済発展に寄与する改革ならば何でも認めるが、人心を動揺させ、社会を不安定化させる論争はできるだけ封じ込めるものだった。その結果、経済規模は確かに拡大した。「改革開放」の30年間で実質GDP伸び率は年平均9.8%に達し、国民生活レベルも著しく向上した。

 改革は、1970年代末にまず農業の自由化から始まった。1990年代に入ると、国有企業の株式会社への転換、国有銀行の商業銀行化、国税と地方税の分離など、市場経済型の制度構築を進めてきた。これらの制度改革の流れから見ても分かるように、改革は政治経済の外側から中心部へと向けて、徐々に深めるプロセスだった。

 30年間の改革開放を大きく分けると、最初の15年間は価格の自由化に終始した。続く15年間は財産権の自由化だった。この自由化のプロセスが目指したものは、トータルして見れば、社会のすべての構成員が一生懸命努力する積極性の喚起だった。

 極端な言い方をすれば、かつての計画経済は人々のやる気をなくす怠け者の経済であった。市場経済は、頑張れば頑張るほど豊かになれるという勤勉の経済制度である。

 むろん、改革開放の欠陥も明らかである。第1に、所得再分配の機能が欠如している。市場経済と経済自由化の必然的な産物の1つは所得格差である。社会階層間の所得配分を平準化するために、租税制度の改革のみならず、政治家の財産申告も不可欠である。

 第2に、経済の自由化に伴い、市場プレーヤーの裁量権も拡大している。市場競争の公正さを担保するために、コーポレートガバナンス(企業統治)の機能も強化しなければならない。

 2008年には、中国消費者の企業への信頼を失墜させる事件が起きた。ミルクと粉ミルクを製造するメーカーが、化学物質のメラミンを製品に混入し、数十万人の乳児に被害をもたらした事件である。常識的に考えれば、あり得ない事件が現実的に起きている。その背景に、これらの企業に対するコーポレートガバナンスが不十分だったことがある。