温度計で温度をはかる。タイマーで調理時間を設定する。現代のキッチンではよくある光景になった。

 気が向くと、ときどきパウンドケーキを焼く。ただここのところ、膨らみが足りなかったり焦げたりして、あまりうまく焼けたためしがない。原因は、長年使ってきたオーブンレンジのボタンがどこをどう押しても利かなくなり、しぶしぶ買い替えたことにある。

 一般に、パウンドケーキを焼く温度と時間は180℃で40~50分程度とされている。だが、こうした数字はあくまで目安にすぎないことは、一度お菓子やパンを焼いてみたことがある人ならわかるだろう。オーブンは機械によってパワーも違えば、熱の当たり具合も違う。その機械のクセを見極める必要があるのだ。

 新しいオーブンレンジがやってきて、私がこれまで培ってきた経験則はあっさりリセットされた。それで温度を少し高めにしたり、時間を変えたり、途中でアルミホイルを被せたりして、毎度試行錯誤している。いったいいつになったら、ベストな焼き方にたどりつけるのやら、こればかりは繰り返し試してみないことにはわからない。

 きっちり温度や時間を設定しても一筋縄でいかない。ならばボタンもダイヤルもなかった時代、人々はいったいどうやってタイミングを見計らっていたのだろうか。そもそも時間や温度をいまほど厳密に気にしていたのだろうか。

「はかる」後篇では、調理の過程に関係する「時間」「温度」という2つの視点から、それらがどう台所に取り込まれていったかを探ることにしよう。

「時」と「ミニュート」が混在していた明治初期

 時代を追ってレシピを見ていくと、「温度」より「時間」のほうが先に重視されるようになったことがわかる。前篇で、西洋料理の伝播とともに食材の分量が明記されるようになったと述べたが、それは時間も同じである。

 そもそも江戸時代は、現代と時間の捉え方が違う。夜明け前と夕暮れ時を基準に昼と夜をそれぞれ6等分したものを「一刻/一時(いっとき)」とよんでいた。そのため一刻はおよそ2時間だが、季節によって長さが変わっていた。また、その半分(約1時間)は「半刻」、さらに半分(約30分)は「四半刻」といい、それ以上細かく区切ることはしていなかった。

 1718(享保3)年に刊行された日本で最初のお菓子の製法書『古今名物御前菓子秘伝抄』(梅村市郎兵衞刊)では、ところどころに時間の記述が登場する。

 たとえば、饅頭のつくり方では<いろりに火を置(おき)、夏は一時程、冬は三時程あたゝめ>と、季節によって発酵時間が異なることを示している。だが、発酵が済んだ後の蒸し時間までは記されていない。このように短時間で済む工程に関しては、自分で頃合いを見計らうようにということなのだろうか、全体を通してとくに触れられていない。

 それが明治時代の西洋料理書になると、より細かな記述に変化する。