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 人生の中で究められる専門分野は、残念ながら限られている。そして人は大きく2つのタイプに分かれる。その道の専門性を追求するタイプと、さまざまな分野の技術を浅く広く取り入れたいというタイプだ。

 いろいろなことに興味が移ってゆくというのは器用な方々に多いが、多少飽きっぽい性格で、その道を究める面白さや深さや味わいよりは、新しいことへのチャレンジや専門家を使いこなすこと(マネジメント)に興味があるのだろう。

 一方、不器用で少々粘着質な性格、また諦めが悪いタイプは職人かたぎに多く見られる。ただ、長年一つの道を究めると、皆独特の風格がでてくるのは不思議な現象である。

極めぬ者にパスとなるキャリアはない

 それぞれトレードオフの関係にあり、どちらか一方が良いというわけではない。だが、私が何かの道を究めたわけではないのにおかしな話だが、「道を究める」というこのテーマは、自分にとってもしっくりくるし、共感を覚える。

 これは生きる方向性の問題なのだ。ゼネラルマネージャーになる道とか、キャリアパスの議論とか、ひいてはビジネスの成功の秘訣とかいうテーマだと、私は少々違和感を感ずる。それは、ある専門性を磨かないと、何をやっても中途半端で終ってしまうと思うからだろう。つまり、目の前の仕事を究めず次のキャリアを追い求めるのに、違和感を感ずるのだ。

 あらゆる仕事は、さまざまな専門性から成り立っている。これは考えてみると不思議なことで、「人が仕事を選ぶ前から、仕事そのものは存在している」ということを証明している。

 その仕事が一人前にこなせるように、専門性を磨いて「仕事の本来求めるもの」に近づいてゆく、と考えるのが正しい。ゼネラリストと呼ばれる方も、自分達の顧客がどこにいるかを考える力、人を使う専門性、資金を回し顧客に価値を提供する専門性が必要となる。

「仕事が人を選ぶ」

 少々きつい言い方だが、「道を究める」という覚悟のない者に、パスとなる次のキャリアが用意されるとは思えない。

 最近、道を極めると言うと、何かの職人芸にのみ当てはまり、自分には関係ない、という兆候が現れ始めているような気がしてならない。