海外旅行の定番と言えば、今も昔も変わらず「南海の楽園」でののんびりとしたバカンス。ハワイ、グアムだけで年間200万人もの日本人が訪れる。

北の住人は楽園を求めて南の島へ旅に出る

 北に住む人々は忘れてしまった何かを求めて南に向かう。それは文字通りの南北でもあり経済的な意味での南北でもある。

 彼らの求めるものは悠久の時間であったり自然であったりするのだが、南に行きさえすれば容易に得られるかのように思いがちだ。

サモア。映画「楽園に帰る」の舞台となったReturn to paradise beach

 その一方で、南の島々にとってみると、そんな北の人々の行為がグローバリゼーション全盛の世界で生きていくうえでの経済的命綱ともなっている。

 1930年代、エキゾチシズムを売りとした「南海もの」なる映画ジャンルが存在していた。

 それが、人間性むき出しの素朴さ、野蛮さといった欧米人が持つ「南」の人々に対する一種の差別的イメージとして強化されていったことは想像に難くない。

 その一方で、「南海もの」に共通して言えるのが、登場する欧米人たちが何か問題を抱えたはぐれ者であることだった。

 もともと、「北」のヨーロッパ諸国にとって、「南」は島流しの地というイメージがあったことも影響しているのだろう。

サモアは世界一激しい豪雨が名物

 先日、出版されたキース・ジェフリーの「MI6」の中で英国諜報機関MI6に属していたことが明かされたサマセット・モームは、南方の英国植民地を舞台とする小説を数多く著している。

 そんな一作『』(1932)では、パゴパゴ(現在のアメリカン・サモアの首都)名物である世界一激しいとも言われる豪雨をバックに、娼婦や流れ者たちがジトジトとした人間模様を繰り広げている。

 1940年代以降下火にはなったが、『青い珊瑚礁』(1948)で物質文明批判としての南海映画が登場、当時英国領だったフィジーで実際にロケもされた風光明媚さもプラスされたこの作品が、自然そのものの孤島と都市生活とのギャップを描く社会派作品を次々と生み出す引き金ともなった。

 しかし、その『青い珊瑚礁』自身、ブルック・シールズ、ミラ・ジョヴォヴィッチといったアイドルを使うお気楽リメイクや続編となって再登場しているように、「南海の楽園」的風景を映し出すことだけが売り物の娯楽作品の人気は今も根強い。

 日本でも、ようやく余暇を楽しむ余裕が生まれ始めた1960年代、新婚旅行の定番と言えば宮崎や南紀といった「南国」であった。