臨時国会の所信表明には、これまで民主党が訴えてきた「市場原理主義が格差を拡大した」といった表現が消え、格差という言葉は一度も出てこない。民主党政権になって格差がなくなったからだろうか。どうもそうではないようだ。

 多くの経済学者が指摘するように、所得格差を示すジニ係数で見る限り、日本の格差はOECD(経済協力開発機構)諸国の平均程度で、それほど大きいとは言えない。

 また「小泉政権が格差を拡大した」というのも嘘で、2000年代前半に日本の所得格差は縮小した。景気が回復して失業率が下がったからだ。さすがの民主党も、それぐらいは理解したのだろう。

 しかし、所得分配の問題がなくなったわけではない。菅直人首相は、所信表明で次のように述べた。

 「一般論として、多少の負担をしても安心できる社会を作っていくことを重視するのか、それとも負担はできる限り少なくして、個人の自己責任に多くを任せるのか、大きく2つの道があります。私は多少の負担をお願いしても安心できる社会を実現することが望ましいと考えています」

 これは「高福祉・高負担」の考え方を示したものだろう。一般的には、高福祉・高負担か低福祉・低負担かという選択はあり得る。民主党は「北欧型の福祉社会」を目指すそうだが、それは政策オプションとしては成り立つ。問題は、日本の社会保障がそれとはほど遠いことである。

貧しい若者から豊かな老人に所得再分配する日本

 日本は、まだ「高負担」ではない。国民負担率は40%程度で、主要国では低い方だ。しかし政府債務がGDP(国内総生産)の2倍近くに達しているので、国債を増税で償還した場合、潜在的な国民負担率は60%近くになる。いやおうなく、高負担にならざるを得ないわけだ。