(2015年9月30日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

ハンガリー議会、軍に国境での武器使用認める新移民法を可決

ハンガリーとクロアチアの国境を超える難民、移民たち〔AFPBB News

 筆者は難民の子である。両親はヒトラーの手から逃れるために英国に渡って来た。2人の命はこの国にたどり着くことで救われた。両親以上に熱烈な愛国者は想像できない。欧州には難民を守る道義的責任がある――筆者がそう考えるのは意外なことではない。だが、移民の問題をもっと多面的にとらえるとしたら、どんなことを考えるべきなのだろうか。

 グローバル化は財やサービス、資本だけの話ではない。人間の話でもある。

 高所得国はほかの国々より裕福であるだけでなく、汚職が少なく安定性も高い。西側諸国に移り住みたいと思うのは至極当然だ。

 しかし、これ以上に論争の種になるテーマはほとんどない。移民を巡る問題は、右派ポピュリズムか否かを示す試金石になっている。英国独立党のナイジェル・ファラージ氏、フランス国民戦線のマリーヌ・ルペン氏、米国共和党のドナルド・トランプ氏などを思い出してもらえれば分かるだろう。

貿易と一緒にできない人の移動

 あらゆる経済的歪みの中で最も大きいのは世界の実質賃金の格差である、という説がある。これによれば、人の移動は貿易と同じだと考えるべきだ。人の移動の障壁をなくせば人類は利益を得られる。移動は大規模なものになる可能性があり、人口が世界全体の7分の1を占めるにすぎない高所得国への影響はその分大きくなるだろうが、富は最大化されるという。

 だが、そのようなコスモポリタニズム(世界市民主義)は、自治を行う地域的な管轄区でそれぞれの政治が行われる体系とは相いれない。また、隣人になることによる利益を誰と共有するかを自分で決めることができるという市民の権利とも相いれない。

 移民の流入を管理する権限が各国に与えられていれば、その管理の基準は、すでにいる市民やその子孫に対する恩恵となる。移住希望者(移動してきた人々の大部分)の利益はそれほど考慮されない。