再開発が進み、大企業も多く拠点を構える韓国ソウルの江南(カンナム)地区 (c) Can Stock Photo

 日韓をまたぐロッテグループで起きたオーナー家の親子、兄第間の紛争は、オーナーの長男が優勢とはいえ、なお予断を許さない。熾烈な財閥韓流ドラマだが、実は、家族内の激突はロッテだけの話ではない。多くの財閥で似たような争いが絶えないのだ。

 「ああ、また、財閥で’王子の乱’が起きたのか」。ロッテグループの経営権を巡る争いが表面化した2015年7月末。韓国の企業関係者の間では、こんな声が聞こえていた。

現代財閥で起きた「王子の乱」

 韓国を襲った通貨・経済危機(IMF危機)の影響がまだあちこちで見られた2000年。当時、韓国最大の財閥だった現代グループで、経営権を巡る対立劇が勃発した。

 当時の現代財閥は、創業者の鄭周永(チョン・ジュヨン=1915年~2001年)氏が85歳を迎える高齢で、息子たちが有力グループ企業を経営する体制に徐々に移行しつつあった。

 鄭周永氏には8人の息子がいたが、すでに2人は死去していた。グループ全体の後継者は、次男の鄭夢九(チョン・モング=1938年生)氏と5男の鄭夢憲(チョン・モンホン=1945年~2003年)氏に絞られていた。

 2人は父親のもとでグループ経営にあたっていたが、父親である創業者が高齢になるにつれ、側近を巻き込んだ対立があちこちで起きていた。

 鄭周永氏の意中の後継者は誰だったのか。当初は、長男格で自動車事業を率いていた鄭夢九氏と見られていたが、高齢になった鄭周永氏は故郷の北朝鮮事業に強い関心を寄せた。この事業を手がけていた鄭夢憲氏が次第にグループ全体で力を持つようになる。