溶けゆく氷を使っていた大正・昭和の冷蔵庫

変わるキッチン(第15回)~冷やす(後篇)

2015.07.31(Fri) 澁川 祐子
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 では、もっと小さな家庭用電気冷蔵庫は、いつ頃から日本に存在していたのだろうか。一般には、1923年にアメリカから輸入されたゼネラルエレクトリック社製が日本初登場の家庭用冷蔵庫とされている。だが、先の『冷たいおいしさの誕生』ではその前年の1922(大正11)年末、電力会社の京都電燈がスイス製の「オートフリゴール」と呼ばれる製品を輸入販売したことを明らかにしている。

 海外から次々と輸入品が入ってくる中、芝浦製作所の冷蔵庫は万を持して登場した国産品だった。だが、前回述べたように値段が高すぎたのはもちろん、キャビネットにむき出しのコンプレッサーがどんと載っているモニタトップ型で、重さは150キロもあり、使いやすいとは言いがたいものだった。

 1935(昭和10)年には、現在の冷蔵庫と同じく機械部分が本体に納められているフラップトップ型の「家庭型芝浦電気冷蔵庫」が発売される。売れ行きはまずまずだったが、わずか5年で製造が打ち切られる。戦時体制の強化にともない、製造停止を余儀なくされたからだ。

 生産が再開されたのは戦後になった1946(昭和21)年、きっかけは連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の要請だった。進駐軍住宅で使うため、東芝をはじめ、日立や三菱といった戦前から冷蔵庫を製造していた9社に注文が出されたのだ。

 一般家庭向けへの本格的な生産が始まるのは、それからさらに後の1950(昭和25)年以降のこと。弾みとなったのは1952(昭和27)年、日立が94リットルという小型の冷蔵庫の量産化に踏み切ったことだった。この小型冷蔵庫が好評を博したために、各社もこの流れに続いた。

 手元にある1950(昭和25)年刊の沼畑金四郎著『家庭科図説』(岩崎書店)をめくると、氷冷蔵庫と電気冷蔵庫があわせて解説されている。また、<冷し方について>と題した項目には、以下のように記されている。

 <氷冷蔵庫とは云ってもそのよいもので攝氏10度位、能率の悪いものは15度以上のものさえあるから、安心して食物をしまいこんでおくわけにゆきません。悪い冷蔵庫よりはむしろ深井戸の冷たいものの方が遥かに効果的で、井戸水には攝氏10度近いものさえあるから、この井戸に吊すか、この水の中に漬ける方がむしろ効果のあるものです>

 さらに、同じ項目では濡れぶきんを使って気化熱を利用する方法も紹介されており、原始的な方法も、まだまだ現役だったことがよく分かる。冷蔵庫が白黒テレビ、電気洗濯機と並んで「三種の神器」と言われるのは、もう少し先の1950年代後半のことである。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


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