駒澤大学の前身は、文禄元年(1592年)、江戸駿河台にあった禅寺にあった学問所だ。今から400年以上も前、豊臣秀吉が政権を担っていた時代である。この時代、寺院は地域文化や産業の中心であり、住民たちの精神的なよりどころでもあった。地域の教育機関としての役割も担っており、その精神は今も脈々と引き継がれている。

同校では、「仏教」や「禅」の心を基盤とはしているが、それを前面に押し出すことはない。校内を歩いていても、ほかの大学と大きく違うところはなく、通学する学生も一般の大学生と変わらない。ただ、根底を流れる「仏教」や「禅」の思想は、少なからずキャンパスライフに影響を与えているという。

「“禅”という言葉には、足がしびれる、たたかれる、厳しいというイメージがあるようだ。武士道と混同し、強靱な精神を育てるための修行というイメージを持っている人も多いだろう。確かに、禅は強靱な精神を育てる一面もある。しかしそれは、他者に勝つためのものではない。自己を確立した上で、周りも一緒に引き立てていこうという共存共栄の精神である」と仏教学部教授・禅研究所所長の石井清純氏は話す。

駒澤大学 仏教学部教授・禅研究所所長
石井 清純 氏


一般に、大学に期待される役割として、「地域社会に貢献する人材育成」や「地域社会の発展の核となる、多様性を持った教育」などがある。同校は、その役割を果たすために「禅」思想を利用し、カリキュラムにも生かしている点がユニークだ。
 

禅の思想を「学び」にも反映。学びを通して自己の確立を目指す

 同校は、建学の理念として、仏教の教義と禅の精神を掲げている。禅は、実践によって自らを見つめる教えである。大学での学びを通じて自己を確立していき、ひいては社会の中でリーダーシップを発揮する人材を育成しようとしているのだ。

その根底に流れる思想は、リベラルアーツと通じる。リベラルアーツとは、「人を自由にする学問」という意味。自由人として生きていくために必要な素養を育てる学問として欧米を中心に発展してきた。文学、歴史、哲学、音楽、科学などの分野を幅広く学び、それを基に専門性を育てていくことで、優秀な人材を輩出している。

駒澤大学のカリキュラムを見ると、人文分野や社会分野、自然分野、ライフデザイン分野などの幅広い教養教育科目が並ぶ。まさにリベラルアーツだ。中には、宗教や哲学など「人生をどう生きるのか」という問いに真摯に向き合う授業も多い。ここでの学びは知識を深め、自己の確立にも寄与していく。

学びにより確固たる基盤を確立した後は、法学・経理・マスコミなど8つの研究所やラボなどで、高度な専門教育を行う。つまり、同校の学生は、幅広い知識を身につけた上で高度な専門性を得ることができるという訳だ。

「教育の最終目的に、資格取得や検定などを設定する大学は多い。しかし、当校の教育はそうではない。学びの楽しさを知り、知的好奇心を喚起し、積み上げていくような教育を目指している」と石井氏。しかし、積み上げ方も人それぞれだ。「学びはよく、山登りに例えられる。山頂に至る道や方法は、人それぞれ異なってもいい。全体像と自己をしっかり把握し、行き着く方法を考えればいい」と続けた。

グローバルの最先端である禅(ZEN)

 グローバルが求められる社会情勢の中、大学は、そこで活躍できるリーダーを育てる責務がある。そのために様々なアプローチ方法があるが、同校はこの点においても「禅」に着目している。

禅研究館


石井氏曰く、「禅は、日本独自のものと考えられているが、実は今や、グローバルの最先端。その証拠に、にZEN(禅)をコンセプトにした製品・サービスが数多く登場している」とのこと。

禅を海外に紹介したのは、鈴木大拙氏と鈴木俊隆師の二人。それに加え、弟子丸泰仙師がヨーロッパで活躍した。彼らの尽力により、世界中に認知が広がった。今では、知的な人々が行う自己啓発に必要不可欠なものとして認知され、大手企業の経営者の多くが「禅」に傾倒しているという。禅の思想を自分のものとし、自己や自社、それを取り巻く社会をよりよくしようとした結果、企業の成功がもたらされるからだろう。

「スティーブ・ジョブズは、禅を実践していた経営者として知られている。彼がシンプルさを追求し開発してきた製品・サービスは、今や世界を圧巻している」と石井氏は指摘する。

争うのではなく、周囲と調和し共存共栄を目指す禅の思想は、形を変えて世界中に浸透し始めているといっていい。グローバル社会が到来している中、このような禅の思想は、これまで以上に求められるようになるだろう。

駒澤大学の卒業生は、同校での経験を通じて、他と共に生き、共に成長し、そして社会に還元していくことを学ぶ。この精神は、社会にとっても大きな財産になるだろう。
 

<取材後記>

 石井氏はインタビューで「死を意識しながら生きること。それが宗教の原点」といった。そこには神や仏という言葉は出てこない。

世界に目を向けると、宗教の違いにより争っているケースは少なくない。偶像崇拝を禁止してる宗教の信者たちが、歴史的にも価値の高い神殿や神像を破壊するケースもある。神の御心というが、個人の尊厳性はどこにあるのだろうか。そのような疑問に直面し、自己啓発できる仏教に惹かれる人は多いと聞く。

「禅」の思想は、学問や個人の生き方だけでなく、世界を変えていくことができる思想となる。駒澤大学では禅の思想をベースとし、教養教育・専門教育を実践している。学生や卒業生に伝えられた禅的な思想は、この世界をよりよくする上での宝になることだろう。



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