持ち場に分かれたサクラ・インセイン生たちが、壁の配線と図面を真剣な面持ちで見比べている様子を眺めながら、「日本には電気工事士という資格制度があり、知識や技術の水準を客観的に査定できるが、この国では経験がすべて。大学を卒業し“エンジニア”と名乗っている人たちも、技術を体系的に学んだことはなく、見よう見まねで断片的に知識を習得しているのが実態」と話す工藤さん。

 「基本的なことは学校で学べますが、現場は生き物で状況は毎日変わります。だからこそ、危険の有無をその場で判断し行動できる“感性”をこのOJTで学んでほしい」。

最高峰“後”の挑戦

 実は、工藤さんは技能五輪の国際大会で優勝した輝かしい経歴の持ち主だ。きんでん学園の指導員を務め、200人以上の教え子を育て上げた上、2007年にはその中の1人を自分と同様に世界大会で優勝させた「人づくりのプロ」でもある。

 だが、世界最高峰の“高み”を極めた技術者にとって、“ないないづくし”の開発途上国は物足りなくないのだろうか――。そんな筆者の疑問を、工藤さんは爽やかな笑顔できっぱり否定した。

 「日本では規格品のパーツを組み合わせれば何とかなりますが、こちらではそもそもパーツがありません。工夫と技で何とかするしかない世界は、まさに“モノづくりの原点”。物足りないどころか、日々、日本にいる時以上に自分が試されているのを感じます」。

 ひどい状況が多いのは確かだが、“だからできない”ではなく、“これをどうしていくか”と考えないと、ここに来た意味がない、と工藤さんは考えている。

 一昨年、黄綬褒章を受章してからは、「日本人」としての自分も一層意識するようになった。

 「被っているのはきんでんのマークが入ったヘルメットですが、背負っているのは日の丸です」と言い切る工藤さんをはじめ、関係者の情熱が惜しみなく注がれているサクラ・インセインの挑戦には、現地でも注目が集まっており、昨年秋にはヤンゴン市配電局(YESB)のスタッフも見学に訪れた。

 1期生は3月末に卒業し、新たなスタートを切る。受講生の1人、カンテット・ウーさんは、「暑い中での体力づくりは大変だったが、安全管理の重要さを学んだ。卒業後は父が経営する電器店を手伝いたい」と張り切っている。

 そんな彼らを励ますように、卒業へのカウントダウンが始まった1月末、正門脇のマンゴーの木が花を咲かせ、小さな実を付けた。日に日に大きくなるその実を眺めつつ、ネウィン校長や琴崎さんたちは、2期生を迎える準備を始めている。

 日本企業の誇りと矜持をかけた指導の下で育ちつつあるミャンマー人技術者たち。マンゴーが熟れる季節は、もうすぐだ。

(つづく)

本記事は『国際開発ジャーナル』(国際開発ジャーナル社発行)のコンテンツを転載したものです。