エグゼクティブサーチという仕事に十数年従事していて、「キャリア形成」について問題意識を持った方々に多く対面し、様々なディスカッションをしてきた。

 考えてみれば、人は生死を自分の意思でコントロール出来ない。従って「キャリア形成」などという、自分のキャリアを自分の意思でコントロールできると思うこと自体、人の小賢しさかも知れない。しかしながら、「キャリア形成」について問題意識を持った方々に多く対面し、いろいろな相談を受けるケースは多い。

 時代も環境も変化してゆくが、職業柄、基本的にキャリア形成に対するスタンスは一貫していなければならない、と常々心掛けているつもりである。私の定義は、「個やチームの技術を磨き抜き、技量の域に達することで世間に認知され、それをそれぞれの個性で世に返し後世に継承してゆくこと」である。これはビジネスに限らず、学問や芸術、芸能、スポーツなどにも適用される。順を追って説明してみよう。

そもそも、キャリアとは?

 キャリアとは、「一生にわたる一連の職業上の活動や行為」と定義されているが、「一生にわたる」と「一連の」というのがキーワードだ。キャリア形成はビジネスマンとして物心がついて、何とか使い物になる頃、30歳前後からそれとなく意識し始める。

 私見だが、リーダー人材のキャリア形成という意味では、おそらく小学校時代から既に始まっている。これは学歴や仕事という意味ではなく、「リーダーとしての養成」という意味である。学級委員、クラブ活動のキャプテン、イベントの取りまとめなど、リーダーは長年かけて獲得できる資質であり、自覚である。3年や5年で醸成されるものではない。

 本来、リーダーは市井(しせい)に多く存在するはずであり、だから「一生にわたる」ものであり、これで終わりという到達点はないのだ。仕事人生も75歳ぐらいまで元気に働く時代。60歳前後で体力も気力もある時に若い世代におんぶされて隠居などしていられないわけである。

 次に「一連の」だが、もともと1つの連鎖する仕事を分業化した歴史があり、顧客に対する価値創造をチームの連鎖により届けるようになった。一般的に、キャリア形成には、横への広がりと縦への深耕がある。前者は組織の権力の長であり、後者は専門家としての技術や芸術性の完成形である。ただ専門家や芸術家にとって権力の長がキャリア形成なのかは、意見の分かれるところである。