ご飯にも乳房にも!?日本人とふりかけの歴史

“ご飯のお供”のたどる道(前篇)

2015.04.10(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

コメ需要が減る中でふりかけの市場規模は拡大

 昭和30年代、日本人はご飯をたくさん食べていた。1962(昭和37)年、1人あたりのコメの年間消費量はピークの118.3キログラムとなった。いまの2倍以上、日本人はコメを消費していたことになる。

 そのコメづくりを担う農村では「ふりかけっ子」が問題になっていたという。朝日新聞の1965(昭和40)年10月5日付のコラム「今日の問題」では、父は出稼ぎ、母は日雇い労働で多忙を極める農家で、子供たちは「ふりかけの朝食」「夕食は朝の残り飯にまたふりかけと魚肉ソーセージ」という食生活の図式を紹介し、農村の疎外された子供を「ふりかけっ子」と称している。ふりかけさえあればご飯を食べられるという便利さは、裏返しに家での個食化を助長する食材として捉えられる側面もあったようだ。

 皮肉なことに、その後はコメの需要は頭打ちになり、昭和40年代以降は1人あたりのコメの年間消費量が急減していった。「ふりかけっ子」問題は薄らいでいったが、ご飯の添えものとして供されてきたふりかけにとっては危機的な状況である。

 ところが、いまもなおふりかけ自体の市場は拡大しているという。『地域食材大百科第9巻』(農文協編、農山漁村文化協会)によると、混ぜご飯のもとやお茶漬けも含めたふりかけの市場規模は、2006年で約360億円だったのが5年後の2011年には380億円を超えたという。

“ご主人様”であるご飯の消費の勢いが衰えているなかで、ふりかけという商品の勢いは衰えない。そこにはどのような秘密があるのだろうか。

 後篇では、ふりかけを製造する食品メーカーの事例を1つ取り上げて、ふりかけの人気がいまなお高まっている要因を探ることにしたい。

(後篇へつづく)

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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