ご飯にも乳房にも!?日本人とふりかけの歴史

“ご飯のお供”のたどる道(前篇)

2015.04.10(Fri) 漆原 次郎
筆者プロフィール&コラム概要

 もう1つ、ふりかけの源流を見いだせる昔の食材がある。「ごま塩」だ。黒ごまを炒り、それに焼き塩を混ぜたものだ。室町時代、日本料理の流派の1つだった大草流は、「赤飯にごま塩を添える」ことを祝儀の食事の1つとしていた。この組み合わせはいまも続くものだ。

 また、このほかにも、魚介類などを醤油や味醂、砂糖で煮しめた「佃煮」や、白身の魚をゆでてほぐして、砂糖などで調味して水分のなくなるまで炒った「田麩(でんぶ)」などもふりかけの源流とされることがある。これらは、現代の、やや湿り気を帯びたソフト系ふりかけの源流と言ってよいかもしれない。

ふりかけ商品のルーツ3説

 近代になると、私たちが店頭で買っているような「ふりかけ商品」の起源が現れはじめる。では、その“元祖”はとなると、これまでいくつかの説が言われてきた。

 1つは、福岡県出身の甲斐清一郎という人物によるというもの。甲斐は1916(大正5)年、福島県で実家の屋号である「丸美屋」を創業し、公設市場で土産物や食料品を販売していた。そして、1925(大正14)年ごろ、「是はうまい」というふりかけをつくった。スズキ目の石持(いしもち)を粉末にして、昆布の粉末とともに醤油で煮込んで乾燥させ、糊とごまを混ぜたものだ。地元で好評となった。そこで甲斐は東京に進出し、1927(昭和2)年には東京・尾久に丸美屋食品研究所を設立。ここで、甲斐は新潟県出身で営業に長けた阿部末吉と出会う。阿部の営業力のおかげで、三越などの有名店で「是はうまい」を扱ってもらえるようになった。戦争で同研究所は消失したが、戦後、現在の社名でもある丸美屋食品工業として再出発し、「是はうまい」を販売し続け、戦後も好評を博した。

 高級食材を扱う三越などの百貨店では、上流階級の人びとが買いものに来ると「是はうまい」とはいわず「是はおいしい」をくださいと求めたという逸話も残っている。

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1975年生まれ。神奈川県出身。出版社で8年にわたり理工書の編集をしたあと、フリーランス記者に。科学誌や経済誌などに、医学・医療分野を含む科学技術関連の記事を寄稿。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。著書に『日産 驚異の会議』(東洋経済新報社)、『原発と次世代エネルギーの未来がわかる本』(洋泉社)、『模倣品対策の新時代』(発明協会)など。


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