先月のコラム『F15戦闘機体験搭乗を通じて考えた日本の防衛』では、大きく2つのことについて述べた。

 まず、自衛隊員は我々の想像以上の犠牲を払い国民と主権を守っている点である。平和が守られている理由はいくつかあるが、その中の一つとして自衛隊が与えられた枠組みの中で機能していることがある。

百里基地にて。1機の戦闘機を飛ばすだけでも多くの隊員サポートと資源を要する(写真提供:筆者、以下同)

 今回のIS(いわゆる「イスラム国」)による日本人人質問題の後、今後の自衛隊の役割についての議論が進む中、これは留意すべき大切な点である。

 そしてもう一つは、戦闘機を1機飛ばすだけでも多くの隊員のサポート、資源、そして準備が必要になることである。一つ一つの任務を完遂する舞台裏では、これらがしっかり相互的に作用しているのである。

 今回の航空生理訓練と体験搭乗を通して、筆者は航空自衛隊の理解を深めることができた。

 すなわち、この訓練は、普段はアメリカ空軍戦争大学で政治理論や概念やらを教室の中で教える国際安全保障の教員を教室の外に連れ出した。戦術や作戦面で普段我々が中々見ることのできない現場を見せ、普段からの健康と緊密な連絡体制の重要さを教える貴重な機会だった。

 本稿ではより広い意味での日本の防衛を考える。具体的には搭乗体験が意味すること、自衛隊と国民の関係および外国語教育についてである。

搭乗体験で感じた航空自衛隊の寛容さ

 防衛関係者と話すと、今回のように外国政府機関に勤務する民間人を乗せるということは珍しいとのことであった。同盟国とはいえ、米軍は他国の軍隊である。そのような人間に対して入間基地では耐G訓練装置、百里基地内の管制塔などの施設もできる限り見せてくれた。

百里基地の管制塔の内部