中国の歴史には1つのパターンがある。混乱の中に英雄が出現して新たな王朝を打ち立てる。その後、2代目や3代目の時に、クーデターや地方の反乱が頻発する。武力で王権を打ち立てた反動なのだろう。この混乱を上手く乗り切る名君が出現した時に、王朝は隆盛期を迎えて外征を行う。

 ただ、名君はそれほど出ない。ダメ皇帝が現れると後宮が力を持つ。皇帝の母親、皇后、時にお婆さんや側室までが入り乱れて政治に介入して、ドタバタ劇となる。宦官が力を持つことも度々である。

 そして官僚機構は必ず腐敗する。1人の皇帝が広い国土と億を超える民衆を支配する中国の宿命である。地方に派遣された官僚は必ずと言ってよいほど汚職を行う。

 中国の官僚は科挙に受かった秀才なのだが、秀才といえども所詮は人間であり仏様ではない。世襲制でないこともあり一代で富を築こうとする。国が大きいから汚職をしても中央にバレないと思うのだろう。汚職のスケールが大きい。このあたりの感覚は狭い日本に住んでいたのでは分からない。

数えるほどしかなかった周辺諸国への侵攻

 こんな国柄だから3000年以上にもわたって東アジアに君臨しながら、周辺の諸国を攻めたことは数えるほどしかない。外征して領土を広げることに成功したのは漢の武帝、唐の太宗、明の洪武帝、そして清の乾隆帝ぐらいである。そして、その全てが今でも名君として称えられている。