(2014年12月22日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 人生の最盛期はもう終わってしまった、あとはずっと下り坂だ――。そんな風に考える人は確かにいる。しかし、そういう憂鬱な気分が西側世界の大半を同時に覆い尽くすことはめったにない。短い期間覆い尽くしたことは確かにあったが(例えば、1970年代のスタグフレーションの時)、やがて危機とともに消えていった。

 今日の悲観主義は、過去のそれよりも2つの面で厄介だ。

今日の悲観主義がとりわけ厄介な理由

 第1に、経済学で説明しきれない。米国では景気回復が5年目に突入しているが、子供たちの暮らし向きは自分のそれよりも悪くなると考える人の割合が、景気の低迷に苦しむイタリアのそれと同水準にとどまっている。しかも、この傾向は2008年に世界金融危機が勃発する前から始まっている。

 第2に、西側の悲観主義は情報技術革命と同時期に広がりを見せている。西側の信条である個人の自由がこれほど制約されない時代は過去にほとんどなかったにもかかわらず、憂鬱な気分はさらに強まっているように見えるのだ。西側の人々は現実が分からなくなりつつあるのだろうか。

 その通りだ、と頷きたい気もする。西側の普通の人は以前よりも長生きしているし、戦争の影響を受けることもかなり減っているうえに、人類史上のどの人物よりも多様な選択肢を手にしている。元気に、自由に生きられること自体、大変な恩恵であるはずだ。

 ひょっとしたら、我々は昔からこれを当たり前だと思って過ごしてきたために、いま手にしているものの有り難みが分かっていないのかもしれない。

 何かとても重大なこと――情報技術に気を取られて物事に集中できない状態が続いていることだろうか――によって神経回路の配線が大きく変わってしまい、すぐ近くにあるものの真価が分からなくなってきているのかもしれない。

 あるいは、今日の公の生活の質に納得できないために、自己認識からしか生じ得ない惨めさに苦しんでいるのかもしれない。これらはすべて、うつ病に当てはまる。タイプの違いはあれども、これらは西側に広がる憂鬱さの説明として示されている。ただ、筆者にはどれもピンとこない。

他者の台頭に不安?

 実は、もっと妥当に思える説がある。我々は他者の台頭に不安を抱いている、という説がそれだ。

 世界各地で数多く行われている意識調査の結果で目を見張るのは、アジア、中南米、およびアフリカの人々が西側の人々よりも常に楽観的であることだ。中国やインドなどの国々の国民が、自分の子供たちの将来を明るく考えていることは、理にかなっている。