反政府デモ参加者殺害に関与した罪に問われていたホスニ・ムバラク元エジプト大統領が事実上の無罪判決を受けた。

 北アフリカが革命の熱気に包まれてから4年、あれほどまでもてはやし、報道合戦を繰り広げたメディアも、既にこの地への興味を失い、日本語のニュースに至っては数えるほどしかない。

アラブの春と民主主義の幻想

エジプトのピラミッド

 しかし、今頃「アラブの春」を謳歌しているはずだった国々が見せる三者三様の姿は、欧米世界の掲げる「自由」「民主主義」の幻想をたしなめているかのようでもある。

 2010年12月、北アフリカの小国チュニジアで、もの売りで細々と日々の糧を得ていた若者が、警官から受けた理不尽な扱いに抗議し焼身自殺した。

 その横暴ぶりに大衆の怒りは爆発、抗議デモが急速に膨張し、御しきれなくなったベン・アリー大統領(当時)は、国外へと逃亡した。革命の波は、大国エジプト、さらには欧米にとって厄介なヒール、カダフィ大佐のリビアにまで押し寄せ、独裁者たちは消えた。

 自らの権力保持のため、国際社会の顔色を窺いながら長年国を治めてきた彼らの権利欲が、結果的に宗教を政治から遠ざけていたその地では、自由や民主主義の名のもと、強権の箍は外れ、その後、激しく揺れ動くことになる。

かつてリビアにはカダフィ大佐の絵が街中至る所に描かれていた

 1年半後、エジプトでは、ムハンマド・ムルシが初の民選大統領となった。しかし、経済が停滞するなか、支持母体ムスリム同胞団をバックにイスラム化を進めたことで、1年後、「事実上のクーデター」により排除されてしまう。

 そして、今年5月の選挙で、シーシ前国防相が新大統領に選ばれ、国を律するものは宗教から軍事力へと正式に変わった。

 カダフィというカリスマを欠くリビアでは、イスラム主義者と世俗派、そして地域間の根深い対立を軸に、民兵勢力も入り乱れ、いま、泥沼の内戦のさなかにある。

 最初に「ジャスミン革命」を成し遂げ、中東で最も西欧化が進む国の1つ、『私家版』(1996)などのフランス映画の舞台ともなっていたチュニジアにも、イスラム化の風は吹いた。