被災地の復興支援に来た人たちが、次々に撤退を表明している。まずは、復興のシンボルと目されている、ある一般社団法人の組織に属していた若者の手記を紹介する。

退職の意向を代表に伝えました。復興支援員としての勤務をここまでとします。理由は複合的でなかなかまとめられませんが、「復興支援と冠の付く活動にモチベーションが意地できなくなった」ということだけは、はっきりと言えます。
「疲れた」といえばそうかもしれません。3年半やってきて、振り返ってみて、そして今を見て、残るものと今後のことを天秤にかけました。もしかしたら、復興支援というものは、無形的なものしか残らないのかもしれません。

 

 震災から3年半を迎えて、被災地ではさまざまな現場で人の移動がはじまっている。来る人、帰る人、就職する人、転職する人、いろいろである。ここへきて支援者の出入りが激しいのは、一言で言うなら、ひとつの区切りというか、そろそろ先のことを見据えようという気運が高まってきたからだろう。

 そもそも震災後の痛手から立ち直った人々は、とりあえず仕事を再開するなり、新たな職に就いたりした。中には、復興支援事業に関わるような何かがしたくて、何かの役に立ちたくて、何かを求めてやってきたものもいたのではないか。しかし、ひと通りの仕事を覚え、ある程度の人脈を築き、期待に応えたかのように見えた人でも、必ずしも何かを残せて、何かの役に立てて、何かを満たしてくれたかどうかはわからない。そういうことに気づいた人たちが、形を変えようともがいているのである。

 善い悪いを言うつもりはないし、判断できる立場でもないが、“原発再稼働決定”なんて話しを聞くと、いくら放射線のことを気にしない私でも、心情的には「僕らは何のためにここで放射線と闘っているのだろう」という気持ちになる。“原発”や“放射線”、“津波”や“地震”のような問題は、個人でどうこうできるものではないのだから、理想と現実とがマッチすることはない。そういう目に見えない相手との尽きることのない葛藤が、支援を限界へと導いてしまう。