19年前の1991年8月にソ連共産党が崩壊した。

 ロシアでは今、3人のうち1人(36%)が、91年8月の事件を「国と国民にとって災いをもたらす国難だった」と評価している。「民主主義の勝利だった」と見なしているのはわずか8%しかない。半数近くの43%は「指導部の権力争いに過ぎなかった」と確信しているのである。

 94年に同じ世論調査を行った際に、「国難」と答えたのは27%だった。この15年で、ソ連共産党の崩壊を「望ましくない出来事」と捉える人が増えているのだ。

 その数字は、ロシアの現政権に対して厳しい評価を下す人が増えてきた結果だと言わざるを得ない。

なんとか今まで生き延びてきた新生ロシア

 ロシアでは毎年8月になると、ソ連共産党の崩壊を振り返って再評価する慣習がある。来年で91年から丸20周年を迎える。この20年という時間はごくわずかであり、評価は難しい。

 20年のうちの半分の期間、政権を握っていたプーチン首相は、中国の鄧小平の言葉を引き合いに出す。フランス訪問中に鄧小平は、18世紀末のフランス革命をどう評価するかと聞かれ、「評価をするには、まだ十分な時間がたっていない」とはぐらかしていた。

 だが、91年版の「革命」を評価するためには、200年以上も待つ必要はない。今でもいくつかの正しい評価はできると思う。

 ソ連の地すべり崩壊(91年12月)、経済の破綻、窮乏する国民、民族主義の台頭、エリツィン政権の迷走、チェチェン戦争、プーチン大統領の権威主義、米欧との対立、グルジアとの戦争、世界経済危機・・・。

 様々な難局を乗り越えて、結局今まで生き延びられたのは、大きな成果と言ってよい。

 ロシアは、今なお「大国」の1つとしても存続している。2009年は世界経済危機によって前年比マイナス7.5%の経済成長率だったが、名目GDPは世界12位(前年は7位)。購買力で計算されたGDPは英国を追い越し、世界6位(日本は3位)となった。

 米欧との関係は回復し、孤立化をまぬがれた。現政権は、多極化する世界の中で責任あるメンバーの役割を果たそうとし、「近代化」路線を掲げ、全方位外交を堅持している。

 貧困や感染病などの解決に取り組む国際機関にもロシアは積極的に協力し、貢献している。最近の世界銀行の発表によれば、国際開発協会(最貧国への融資を行う国連の専門機関)へのロシアの寄付金は1億800万ドルに達している。

 2007年3月、ゴールドマン・サックスは、ロシアのGDPが2040年に日本に迫り、2045年に日本を追い越し、世界5位になるだろうと報告していた。その予測は世界経済危機以前のものであり、全般的には説得力に欠ける部分もあるが、ロシアの潜在的な成長力を評価していると言える。