(2014年10月28日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 1914年に生まれて1992年に亡くなるまで、リビウという町にずっと住んでいた人がいたら、その人は生涯にわたり5つの国に住んだことになる。

 リビウは、1914年当時にはレンベルクと呼ばれており、オーストリア・ハンガリー帝国の一部だった。1919年には名前がルブフに変わってポーランドの一部になっていた。1941年にはドイツに占領され、1945年には旧ソビエト連邦に編入された。そして1991年には新たに独立したウクライナの一部になった。

プーチン大統領がポーランド首相にウクライナ分割を持ちかけた?

 こうした変化のほとんどは戦闘と流血を伴うものだった。そのため、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が数年前にポーランドのドナルド・トゥスク首相(当時)に対し、ウクライナを再度分割しよう――ロシアが東部を取り、ポーランドがリビウなど西部を取る――と持ちかけていたとの話が先週示唆されたときには、大騒ぎになった*1

 プーチン氏とトゥスク氏の会話の詳細は――そういうやり取りが本当にあったかどうかも含めて――関係各方面からの否定や釈明によってすぐにうやむやにされた。

 しかし、ウクライナを分割するという構想に多くの人々が激怒したことは、やはり多くのことを物語っていた。というのは、欧州大陸に引かれている国境線はまた変わるかもしれないし、その場合にはさまざまな危険が生じるだろうという、至極もっともで深い恐怖感が欧州に存在することがこの一件で明らかになったからだ。

ウクライナ東部にロシア国旗掲げた装甲車

ウクライナ東部ドネツク州で軍服を着て武装した男性たちを乗せ、ロシア国旗を掲げて市内を走る装甲車〔AFPBB News

 ある意味で、ウクライナの分割はすでに始まっている。ロシアは今年、概ね無血だったとはいえ、力ずくでクリミアを併合した。

 ウクライナ東部ではその後、戦闘で数千人が命を落としており、一部の地域はロシアの支援を受けた分離主義者が掌握するに至っている。

 ウクライナでは先週末に議会選挙が行われたが、親ロシア派に占領された地域では投票を行えなかった。

EUの「リアリスト」が唱える分割容認論

 欧州連合(EU)で影響力を持つ一部の人々からは、ウクライナ国民に「現実を受け入れよ」と促す声が上がっている。

 劣勢の消耗戦を戦うのをやめ、国の東部すべてを取り戻すことをあきらめ(取り戻したら、荒廃した都市を復興させなければならない)、まだ支配下にある大部分の国土を繁栄させることに注力した方がいい。ロシアによる支配の合法性を否定することは可能だが、それでも現実は受け入れるべきだ、というわけだ。

*1=ポーランド前外相のラデク・シコルスキ氏が米誌ポリティコのインタビューで語ったもの。大騒ぎになると、シコルスキ氏は発言を事実上撤回し、謝罪した