内田さんが紅茶の栽培地として選んだのは沖縄本島中部に位置する金武町だ。紅茶品種として選んだのは「べにほまれ」で、お茶の研究機関に残っていた原種とも言える苗木を手に入れて、農家に栽培を委託した。紅茶の製茶工場も金武町につくり、国産紅茶の体制を整えた。

 当初は、沖縄で収穫される茶葉が少なかったこともあり、販路も狭く知名度も低かった。だが、沖縄県内の有名ホテルがラウンジで「琉球紅茶」を提供するようになったうえ、「JAPANブランド育成支援事業」に選ばれたこともあり、琉球紅茶のブランドが次第に知られるようになった。

 沖縄と茶は結びつかないように思えるが、茶の樹の原産地は中国雲南省と言われており、中国の陸羽が8世紀に著した『茶経』の書き出しは「茶は南方の嘉木」とあるように、南方の植物だ。沖縄でも1970年代には500戸を超える農家が緑茶を栽培し、栽培面積も100ヘクタール、荒茶の生産量も200トンを超えていた。

 しかし、産地の集約化が進む中で、沖縄の茶の生産は先細っていく。沖縄県の資料で栽培農家数や面積、生産量が揃っているデータは2004年が最後で、栽培農家数は47戸、面積39ヘクタール、荒茶生産量70トンなどとなっている。かつては紅茶用の茶樹もあったというが、現在はほとんど緑茶用だという。

 「べにほまれ」という品種は、農林省が紅茶に適した品種として栽培を奨励しようとしたものだ。茶農林登録品種ができた1953年の最初の登録品種である「茶農林第1号」は、インドのアッサム種の茶の実を日本で育てた、この「べにほまれ」だった。

 一方、緑茶品種として日本の茶畑を席巻した「やぶきた」は、同じ年に登録された「茶農林6号」である。当時、外貨を稼ぐ紅茶品種への期待が大きかったことがよく分る。

フランスで市場開拓に挑戦

 内田さんの夢は、沖縄を世界の紅茶4大産地にすることだという。3大産地とは、ダージリン(インド)、ウバ(スリランカ)、キーマン(祁門、中国)と言われる。それに沖縄を加えて4大産地にしようという壮大な夢だ。