(英エコノミスト誌 2014年8月30日号)

悪事を働いた企業は罰しなければならないが、現状では法制度が恐喝の仕組みと化している。

 世界で最も実入りのいい恐喝を行っているのは誰か? シチリアのマフィアか? 中国の人民解放軍か? ロシアの腐敗した政治家か? 大企業の立場から見れば、いずれも貪欲さの点で、米国の規制システムに及ばない。

 規制システムの恐喝手段は単純だ。何か悪いことをしているかもしれない(していないかもしれない)大企業を探し、商業的な破滅を盾にとって経営者に脅しをかける。できれば刑事告発をちらつかせるのが望ましい。秘密裏の和解を成立させ(従って、誰も詳細を確認できない)、告発を取り下げる代わりに株主のカネで膨大な罰金を支払わせる。そして、また別の企業で同じことを繰り返すのだ。

 こうして支払われる額は、気が遠くなるほど大きい。今年これまでに、バンク・オブ・アメリカ、JPモルガン・チェース、シティグループ、ゴールドマン・サックスといった銀行が、不動産担保証券を巡って投資家を欺いたとされ、500億ドル近くを支払っている。BNPパリバは、米国がイランやスーダンなどに科している制裁に違反した罪で、およそ90億ドルの罰金を支払った。クレディスイス、UBS、バークレイズなどの銀行も、様々な告発を和解に持ち込み、何十億ドルも支払っている。

 しかも、上述したのは金融機関だ。英BPが石油掘削施設「ディープウォーター・ホライズン」の原油流出事故を巡り支払った130億ドルの和解金や、トヨタ自動車の一部の車種で申し立てられた不具合を巡る12億ドルの和解金など、数多くの例がある。

 多くの場合、企業は確かに、何らかの形の罰を受けて当然のことをした。BNPパリバの行為はジェノサイドを幇助する恥ずべきものだし、米国の各銀行は悪質な投資話で顧客からカネを巻き上げ、BPはメキシコ湾の環境を破壊した。

 だが、正義というものは、恐喝により密室で行使すべきものではない。米国で企業の行動が犯罪化されるケースが増えている現状は、法の支配にとっても資本主義にとっても有害だ。

心も体もない? 何の問題もない

 ほんの1世紀前までは、企業が犯罪者になるという概念は、米国の法には存在しなかった。18世紀のイングランド大法官、エドワード・サーロウが言ったように、企業には罰すべき体も咎めるべき心もなく、従って「有罪」にはなり得ない、という考え方が広く行き渡っていた。

 だが、価格統制に背いた鉄道会社に対する1909年の訴訟を機に、企業は従業員の行動に責任を負うという原則が確立された。そして現在の米国には、何らかの刑事罰を伴う規則が数十万件も存在するようになった。