(2014年8月1日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 「イラク・シリアのイスラム国(ISIS)」のジハード戦士たちが6月にシリア東部から飛び出し、イラクの北部と中部に攻め込んだ時、彼らはカリフ制国家の樹立を宣言しただけでなく、オスマン帝国のアラブ領地を分割し、全く異なる宗派と民族を欧州式の国民国家に投げ入れた1916年の英仏秘密協定「サイクス・ピコ協定」を破棄したと述べた。

 だが、自らの帝国の利益を拡大するために第1次世界大戦後に英国とフランスが作り出したイラクとシリアは、すでにバラバラになり始めていた。

 2003年の英米の侵略によって粉々になったイラクの事実上の分離もかなり進行していた。2011年に自身の専制政治に対する反乱が起きてから、バシャル・アル・アサド政権が自国民に無慈悲な戦争をしかけてきたシリアは、すでに宗派の線に沿って分解しつつあった。

1世紀前に逆戻りしたように見える中東世界

 それはあたかも中近東が1世紀前に逆戻りし、新たなオスマン帝国の形になったかのようにも見える。広大なオスマン帝国がアラブの臣民に比較的まとまりのある民族宗教的な単位の中で一定の自治を認めたミレット(宗教自治体)制に回帰したかのように見えるのだ。

 ISISの自称カリフは、欧州の帝国主義者たちが描いたレバントのキャンバスを引き裂き、国境をブルドーザーで整地して、当時の大シリアとメソポタミアだったものを一体化する意図を宣言している。だが、燃え盛るこの地域では、いかなる種類の統一の見通しも立っていないように見える。

 ユーフラテス川流域の国境を跨ぐ「ジハーディスタン(聖戦地域)」で立場を固めたISISは、国家の不在、国民的物語の喪失、大国の貧弱な影響力を特徴とする3次元の空白とも言える状態に実に機敏に入り込んだ。シリアとイラクでは、国家の制度機構が崩壊し、市民が宗派と民兵、氏族、部族の腕の中に放り込まれている。

 これは部分的には、ずっと以前に独裁政治のアリバイになっていた汎アラブ民族主義というイデオロギーが崩壊した結果だ。シリアとイラクのバース党は、多くの点でアラブ版のファシズムだった。バース党政権は少数派の体制でもあった。シーア派の教義を持つ密教的な分派である、アサド一族のアラウィ―派と、サダム・フセインの(スンニ派の)ティクリート派を中心に築かれていた。

 こうした体制の崩壊は、イスラム教スンニ派とシーア派との古くからの分裂を再燃させて国境を破壊する炎に変え、スンニ派ワッハーブ派の神権政治を行うサウジアラビアとシーア派(でペルシャ)の神権政治を行うイラン・イスラム共和国を敵対させている。

 だが、中東における現在と1世紀前との大きな違いは、超大国の相対的な重みだ。英国とフランスは、当時まさに帝国の衰退期に入ろうとしていたが、中東地域を形作ることができた。地域を分割したり、再び縫い合わせたりする力があったのだ。