(英エコノミスト誌 2014年7月12日号)

安全保障面での日本との関係強化は、一部のオーストラリア人を不安にさせている。

日本首相初の豪議会演説で安倍氏「平和への決意」

日本の首相として初めて、オーストラリア議会で演説した安倍晋三首相〔AFPBB News

 日本の安倍晋三首相は7月9日、かつて日本とオーストラリアの関係を決定づけたコモディティー(商品)――鉄鉱石――を視察するために、オーストラリア奥地の赤い砂漠へと飛んだ。

 首都キャンベラには、前日に両国関係の「真新しい礎」の構築を呼びかけた安倍氏の言葉を消化しようとする政策通が後に残された。

 安倍氏はオーストラリア議会での演説で、オーストラリアと日本が不倶戴天の敵同士だった第2次世界大戦に言及した後、オーストラリアと日本はこれから、地域の平和を育むために「スクラムをラグビーのように組む」と述べた。

 オーストラリア人の多くは安倍氏の発言を日中の対立においてオーストラリアを味方に取り込もうとするものと受け止めており、一部のオーストラリア人の間で大きなジレンマを生んだ。

安倍首相がオーストラリア議会での演説で語ったこと

 安倍氏はニュージーランドからオーストラリア入りした。ニュージーランドでは、ジョン・キー首相が、4月に国際司法裁判所が日本の「科学的」調査捕鯨を禁止する判決を下したことを受けて、南極海で捕鯨を再開しようとする日本のいかなる試みにも反対すると述べた。しかし、キャンベラでは、安倍氏の視線は太平洋とインド洋に向けられていた。

 安倍氏の演説は中国に一切触れなかったが、すべては中国とその軍備増強、近隣諸国の海洋権益の主張に対する挑戦に関する内容だった。安倍氏はオーストラリアに、日本と協力してアジア太平洋地域の「広大な海」と空を「オープンで自由な場」として保とうと呼びかけた。

 安倍氏は両国関係の重要な局面として刻まれるかもしれない訪問で、歴史的な共鳴を利用した。

 安倍氏の祖父の岸信介は1957年、戦後の日本の首相として初めてオーストラリアを訪問し、日豪通商協定に調印した。だが、1942年の日本軍によるオーストラリア北部およびシドニーの攻撃、そしてパプアニューギニアやブルネオなどでのオーストラリア人戦争捕虜の残忍な扱いが、数十年にわたって両国関係に影を落とした。