(2014年6月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

中国民主化運動の象徴「戦車男」、天安門事件から25年

天安門事件からちょうど25年が経った(写真は1989年6月4日、中国北京の天安門広場に進入しようとし、群衆に燃やされた約20台の装甲車)〔AFPBB News

 今から25年前、鄧小平率いる中国共産党指導部が天安門広場の抗議者たちへの攻撃を始めた時、彼らは社会主義の道をたどり、労働者階級による支配というマルクス主義の原則に従っているはずだった。

 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは1848年の共産党宣言で「万国の労働者よ、団結せよ!」と宣言した。

 だが、民主化要求デモを弾圧した後に鄧小平が解き放った世界の労働人口の急拡大は、反対の結果を招いた。経済改革と外国直接投資を通じた中国の開放は、プロレタリアートを結束させる代わりに、分断したのだ。

中国の改革開放路線が世界にもたらした結果

 労働者の分断はマルクスが思い描いた革命ではなかったが、それが鄧小平の1992年の南巡講話がもたらした結果だった。鄧小平はこの時、人民に機会を提供することで共産党支配を強化しようと、深センなどの都市で改革を支持した。現在、1989年6月4日を記念する中国人がほとんどいないという事実は、党による検閲と鄧小平の作戦の双方の賜物だ。

 エコノミストのブランコ・ミラノヴィッチ氏が書いたように、これが「産業革命以来最も著しい人々の経済的地位の世界的再編」を促した。世界人口の上位1%の高額所得者(特に上位0.1%の富裕層)と、世界の産業労働力に新たに加わる何百万人の人々は、鄧小平の自由化とは異なる形で利益を手にした。

 一方、先進国の非ブルジョワ――教育水準が低く、スキルが限られた製造業・サービス業労働者――は賃金停滞に苦しめられた。賃上げを求めて交渉する力は、世界的な労働供給量の目覚ましい伸びによって損なわれてしまった。1980年から2010年にかけて、世界の労働人口は12億人も増加している。

 鄧小平はたった一人で世界を揺るがしたわけではない。1980年代終盤から1990年代初頭にかけて筆者が雇用担当記者だった頃、マーガレット・サッチャーの国有産業民営化と1984~85年の炭鉱労働者ストの打破によって、英国の労働組合の力は既に弱められていた。民間部門の組合員数は減少しており、その後も減り続けた。

 政治的、経済的な激変は、1990年代半ばのインターネットの進化と情報技術(IT)の急速な発展と重なった。それが仕事のオートメーション(自動化)と国際貿易の増加につながった。サプライチェーン(供給網)を世界中に広げることが容易になったのだ。

 だが、中国の台頭がギシギシきしむ貿易と雇用に対する障壁を崩し、グローバルな労働市場と急激な工業化を生み出した。マッキンゼー・グローバル・インスティテュート(MGI)によると、農場から工場へ移ることで、全世界で約6億2000万人が貧困から救い出され、1980年には先進国の水準の3%だった中国の1人当たり国内総生産(GDP)は2010年に20%に拡大した。