夕張医療センターに行ってまず感じたことは、建物の老朽化に比して、職員が明るいことでした。

 病院の中は薄暗かったのですが、応対してくれた職員の表情は、「夕張希望の杜」という法人名が示すように「希望」が見て取れました。村上智彦医師は、何度かテレビで見た通りの明るい笑顔で私を迎えてくれました。

1億2000万円もの借金をしたお人好し

 断るまでもなく、私は一介のフリーライターです。取材したものがいつ記事になるか分かりませんし、ましてや著作物になる保証などもありません。はるか遠い先にならなければ、私の取材を受けるメリットがあるのか、それが村上医師にとってよい結果をもたらすのかどうかも分かりません。

 そんな私を、何の疑いもなくあっけらからんと受け入れるというのは、村上医師に人を見る目があったからなのでしょうか。

 いや、村上医師は心底からものごとを頼んでくる人に対して、邪険にあしらえないのでしょう。人を端から疑ってかかることはせずに、根底で人を信じる性善説の持ち主なのだろうと思います。いわば、根っからのお人好しなのです。

 だからこそ、夕張の地域医療を頼まれた時、目先の損得などに拘泥せず、信念や義を最優先し、1億2000万円もの借金をしてまで引き受けたのでしょう。

 そのことは村上医師の診察からも感じられました。すべての外来患者に対して分け隔てなく接し、同じように親身になって病気の克服法をアドバイスして、健康の大切さを教えていました。

 訪問診療に同行すると、私に向かって「ぼくはこの方、尊敬しているんです」と言い、当時93歳になった女性画家とよもやま話に花を咲かせました。それが実に楽しそうなのです。心からお年寄りを敬い、おしゃべりを楽しんで、診察はまるで付け足しのようでした。

権力に立ち向かう反骨の人

 村上医師は、夕張に来る前に北海道の瀬棚町国保医科診療所で7年間勤務しました。そこは老人医療費が全国ワースト1位という土地柄でしたが、村上医師の予防医療によって半減しました。

 そうした実績を上げたのに、なぜそこを去らなければならなかったのかというと、平成の大合併によって2006年に町長が交代し、村上医師が推進してきた予防医療が全否定されたからです。