中国人はいつ南シナ海にやって来たのか

 フィリピンと中国の双方をよく知る米海軍出身の歴史家である、故ウィリアム・ヘンリ・スコットや東南アジアの海洋史に詳しいケネス・ホールの著作などをひもとけば、フィリピンを含め東南アジアの諸民族と南シナ海の歴史はより明らかになる。ゾイロ君が送ってくれた歴史書を交えて、かいつまんで記そう。

 古来南シナ海は、季節風(モンスーン)による航海を通じて、インドや、中東、そして東南アジアの海洋民族に開かれた海であった。

 最近の歴史研究によれば、様々なエスニシティからなる東南アジアの諸民族の「Kunlun」と呼ばれる船乗りが、「Kunlunpo」と呼ばれる航海船を造り、インドとアジアの交易にあたっていたのである。マレー・ポリネシア系の東南アジアの諸民族こそが、中国とインドとの海上ルートを開き、アフリカ大陸まで航海していたと見られている。

 そこに中国人がやって来たのは、歴史上は比較的最近のことである。にもかかわらず、中国は古代の「海上のシルクロード」を開拓したのは、中国人であると言わんばかりなのである。むしろ、漢の時代(BC206年~AD220年)には、内陸のキャラバンルートが使われたのである。

 歴史文書によれば、中国民族はそもそも海洋民族というよりは、内陸に住む民族であって、主として海岸線をたどって、徐々に南下したとされている。また、海洋への進出に関しては、中東系の人々にならって、少しずつ南の海洋に進出したとされている。

 実際に海のシルクロードが中国人によって開拓されるのは、イスラム勢力の進出(AD751年)により、陸地を通るシルクロードが閉鎖される8世紀半ばの唐時代を待つ必要がある。当時でも、外国の商人のみが中国に向けて海洋ルートを活用したのであって、中国商人が海洋ルートを活用して、外洋に出たわけではない。

 歴史書によれば、11世紀になるまで、中国の船は恒常的に南シナ海で航海していたわけではない。中国商人が現在の南シナ海にようやく進出するのは、宋代の後半から元時代にかけて、特に13世紀になってからと言われている。