(英エコノミスト誌 2014年2月22日号)

欧米諸国はウクライナ政府に、そしてロシアの指導者に対して、強硬な姿勢を取るべきである。

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欧州でも美しい都市キエフがまるで戦場のような様相を呈している〔AFPBB News

 内戦の多くは、恐ろしいほど予測可能なパターンをたどる。当初は解決可能に見えた対立が激化し、紛争に発展、目標が過激になるにつれ敵意が募り、調停による歩み寄りの可能性が失われる。

 ウクライナも、そうした忌まわしい軌跡をたどっている。2013年11月に平和的に始まった抗議活動は、グロテスクな暴力に包まれて燃え上がった。

 欧州でも指折りの美しい都市である首都キエフの中心部は2月上旬、息が詰まるような交戦地帯と化した。建物やバリケードが焼かれ、数十人のウクライナ国民が死亡した。

 一部の当事者間では停戦の話し合いが持たれているものの、現在の惨状が大幅に悪化する可能性が消えたわけではない。今回の流血の事態は、以前から脆く複雑だったこの国の亀裂をさらに深めるだろう。全面的な内戦も、現実的な可能性として残る。

 この混乱の直接的な責任は、ウクライナの暴力的な指導者、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領にある。だが、一番裏で筋書きを書いた者はクレムリンにいる。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領である。

東でも西でもない

 現在のウクライナにあたる地域は、東西を分ける血なまぐさい境界地帯としての長く痛ましい歴史を持つ。だが、独立国となったのはごく最近、ソビエト連邦が崩壊した1991年のことだ。かつてオーストリア・ハンガリー帝国の一部だった西部と、ロシア語を話す南部および東部を統合した新国家ウクライナには、常に将来を疑う人がいた。

 以来、ウクライナの政治は、内紛と汚職を特徴としてきた――2004年のオレンジ革命以後も同様だ。オレンジ革命は平和的な反政府運動だったが、怨恨に満ちた指導者たちのせいで、革命の目指したものは台無しになった。

 ウクライナ国民の多くは、自国が腐敗したエリート層に支配されており、その支配者層を通常の民主的な方法で排除することはできないと感じている。キエフは、「欧州連合(EU)」が「良い統治」と「法の支配」の代名詞となる数少ない欧州都市の1つだ。

 騒乱のきっかけは、昨年11月、ヤヌコビッチ大統領がEUとの貿易協定を拒否し、ロシアとの不透明な取引を選択したことだった。抗議者たちはすぐに大統領辞任を要求し始め、ヤヌコビッチ大統領とロシアのプロパガンダは、彼らをテロリストと非難した。緊迫した3カ月のにらみ合いを経て、どのような経緯で先の殺戮が始まったかは、はっきりとしない。だが、その大半は、大統領側の人間がしでかしたことだ。