今回は、私と音楽の関係について書いてみようと思う。こう書き出しただけで、私はかなり緊張している。それというのも、私は音楽について実にうといからだ。楽器の演奏は一つもできないし、合唱部にいたわけでもない。中学・高校はサッカー部に所属してグラウンドを元気に走り回り、家に帰ってからは勉強をして午後11時には就寝するという規則正しい生活をおくっていた。よって、ザ・ベストテンもろくに見ていないし、ラジオの深夜放送にうつつを抜かした経験もない。

 自慢にならないが、私はアイドル歌手に憧れたことがない。1965(昭和40)年生まれなので、中学から高校になる頃に松田聖子がデビューして、彼女と前後して石野真子や中森明菜、小泉今日子が活躍するアイドル全盛時代を迎えるわけだが、とくに誰が好きになることもなかった。わが家は3DKの団地で、私を頭に3人の妹と12歳離れた弟という5人の子どもたちがいたために、テレビの歌謡番組すらゆっくり見る環境になかったからだと思われる。

 それでも、45歳頃から洋楽に目覚めて、この3~4年はボブ・ディラン、ザ・バンド、ニール・ヤング、キンクス、T.REXといった60年代、70年代のロックを聴いて喜んでいる。といっても、にわかファンにふさわしく、歴史的名盤と呼ばれるCDを数枚ずつ持っているに過ぎない。だから、筋金入りの音楽ファンを唸らせるようなことは書けるはずもなく、また書くつもりもないのである。

 しかし、こんな私でも、49年という歳月をおくるなかで、折りにふれて音楽に親しむ機会があった。そうした思い出を振り返ることで、自分にとって音楽がどのような意味を持ってきたのかを考えてみたい。

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 先ほど、私は楽器が一つもできないと書いたが、小学4年生から6年生までエレクトーンを習っていた。自分から弾きたいと言ったわけではなく、母に習わされたのである。私は母が好きで、生まれてこの方、基本的に不満を覚えたことがないのだが、エレクトーンについてだけは少々恨んでいる。

 ある日、公団住宅の四畳半にエレクトーンが運び込まれた。それが年子の妹の希望だったのか、母の発案だったのかはいずれ確かめてみようと思うのだが、とにかく狭い3DKの団地の中で唯一の独立した空間である四畳半が「ヤマハエレクトーン教室」に提供されてしまったことが、私には大いに不満だった。しかも、なぜか私までもがレッスンを受けるはめになったのだ。

 週に2度ほど先生が来て、私と2人の妹に加えて、ほかの生徒さんたちにもエレクトーンを教える。レッスンのスケジュールは決まっているから、その日は放課後の遊びを途中で切り上げて家に戻らなければならないのが、とにかく嫌だった。しかも、エレクトーンなんてまったく好きではないので、バイエルを1曲ずつクリアしていってもちっとも嬉しくない。ろくに練習しなかったので、1年半ほど習っても、級が2つか3つしか進まなかったのではないかと思う。