牛丼屋から牛丼が消えていく?

「脱・牛丼」でデフレ脱却か

2014.02.13(Thu) 小谷 隆
筆者プロフィール&コラム概要

 その前に、牛丼業界の歴史をおさらいしておこう。

 伝統的に白ワインで煮込んだような微かな洋風の風味を漂わせ、牛丼を単なる牛ぶっかけご飯から牛丼という特別な食べ物にまで高めたのはまぎれもなく吉野家だった。創業115年。伝統の味にこだわり続けた。牛丼といえば吉野家という単純想起は、かつてのオーディオやビデオにおけるソニーと同じようなステイタスだった。

 しかし、昨今の吉野家は老舗の味を守るため苦戦を強いられた。2004年にBSE(牛海綿状脳症)問題でアメリカからの牛肉が輸入できなくなった時期に、当時はまだ業界3番手だったすき家が、牛丼には向かないとされていた豪州産牛肉をいち早く採用し、新たにタレも開発して「新牛丼」を投入した。帰ってきた牛丼に顧客は殺到し、それで追い風に乗ったすき家は2006年に店舗数で松屋を抜いて2位に立つと、王者を一気に猛追、2009年にはとうとう吉野家も抜いて業界トップに立った。

 2006年7月に米国産牛肉の輸入が再開され、同年9月になってようやく吉野家は牛丼の販売再開にこぎつけた。しかしその当時はアメリカから日本に輸入できる牛の月齢制限があって数量が限られており、コストは当然高くなって、牛丼並盛で380円という価格設定をせざるを得なかった。しかも量が不足していたから時間限定の提供だった。

 片やすき家は2004年9月に牛丼を再開したときから350円で提供していた。そのうえキムチ牛丼やねぎ玉牛丼に代表される独創的なトッピングを季節ごとに発売し、折に触れ値引きキャンペーンを展開し、さらに勢いを増した。

 2009年に国内店舗数であっさりと吉野家を抜き去って覇権を握ると、出店の滞っていた他チェーンを尻目に店舗数を順調に拡大し、今や吉野家にほぼダブルスコアの差をつけるまでになった。

 さらに価格でも2009年12月には満身創痍の吉野家に追い打ちをかけるように牛丼並盛を280円に値下げした。ほどなく松屋も追随し、ここに独り吉野家は完全に時流から取り残された形になって、売り上げも低迷し続けた。

 豊富なメニューに加え、郊外型のロードサイド店を中心にテーブル席を設けてファミリーや女性にも客層を広げたすき家は、iPodをパーソナルオーディオの代名詞にまで高めてソニーを歴史の遺物に追いやったアップルを彷彿させた。

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企業コミュニケーションのプロとして働く傍ら、音楽制作と文筆活動。24時間イン ターネット音楽ラジオ「これい~なNon Stop Music Station」を主宰。87年コバルト 短編小説新人賞、93年新美南吉童話賞を受賞。90年代に草創期のマイクロソフトネッ トワークでコラムを執筆。愛知県生まれ。


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