(英エコノミスト誌 2013年12月14日号)

ビクトル・ヤヌコビッチ大統領による広場のデモ隊の強制排除は失敗に終わったが、これは常識に反する試みに見えた。

ウクライナ機動隊が独立広場に突入、デモ強制排除へ

ウクライナの反政府デモの中心舞台となっているキエフの独立広場〔AFPBB News

 12月11日午前1時を回ると、キエフ旧市街の中心にあるミハイロフスキー寺院の鐘が急を告げるように鳴り始めた。中世と同様、これは街が包囲されていることを伝える合図であり、市民に対して街の防衛を呼びかける訴えだった。

 急な坂の麓では、黒いヘルメットを被り、金属製の盾を構えた機動隊の列が、一般的にマイダン(広場の意)と呼ばれる独立広場に3方向から押し寄せた。3週間にわたり革命的な抗議活動の舞台となっているマイダンは、最も緊迫した時を迎えたように見えた。

恐ろしいほどの自制心と決意を示したデモ隊

 慌てる向きはなく、あるのは固い決意だけだった。若者たちは手を取り合い、涙する人もいた。バリケードが張られたデモ隊の野営地内では、厳粛な面持ちの男たちがヘルメットを被り、身を守るためにコートに詰め物をした。女性は広場から去るよう勧められた。冬の冷たい空気は緊張で電気が走ったようだった。

 照明が当てられたステージ上では、スクリーンに映し出されたデモ隊のリーダーたちが冷静な行動と果敢な抵抗を呼びかけ、神父が祈りの言葉を読み上げ、ウクライナの人気歌手ルスラナが「ウクライナは、その栄光も自由もいまだ滅びず」と国歌を歌い出した。

 マイダンに集まった何千人ものデモ参加者が合唱に加わった。「魂と身体を捧げよう、すべて我らの自由のために/そして示そう、兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であること!」――。広場では、ウクライナの国旗と欧州連合(EU)の旗が隣り合ってはためいていた。

 キエフのメーンストリート、フレシャーチク通りの反対側では、機動隊がバリケードに突入しようと一気に前進した。小競り合いで数人の負傷者が出た。しかし、マイダン自体では、デモ隊が一歩も譲らず陣地を守った。デモ隊は恐ろしいほどの自制心を見せ、警官に暴力を使う言い訳を一切与えなかった。

 午前4時を回るころに警官が四苦八苦していると、雰囲気が変わった。敗北は避けられないとの見通しが、勝利の予感に道を譲ったのだ(後に、警察はデモ隊解散の命は受けておらず、別の場所に移動させろとの指示だけ受けていたことが判明した)。

 殴られることを覚悟し、零下13度という寒空のなかで立っていたマイダンのデモ隊は、抗議行動の当初の大義だったEUとの連合協定よりもはるかに大事なものを守っていた。警察国家への道を阻み、根本的な欧州の価値観を擁護し、ロシアに押し付けられたソ連崩壊後の秩序に抗っていたのだ。

 装備の点で機動隊にどれほどの優位性があったとしても、デモ隊には道義的な優位性があった。ビクトル・ヤヌコビッチ大統領の権威主義的な力に逆らうデモ隊は、歴史の正しい側に立っていた。