(英エコノミスト誌 2013年12月14日号)

ネルソン・マンデラ氏の偉大さは、誰にとっても越えるべき壁だが、彼の後継者たちにとってはひときわ大きな壁だ。

マンデラ氏はなぜ特別な存在なのか?

ネルソン・マンデラ元大統領は12月5日、家族に見守られながら死去した〔AFPBB News

 ネルソン・マンデラ氏の数々の偉業の中でも、特に目を引くものが2つある。

 1つは、抑圧の中にありながら不屈の精神と度量の大きさと人間の尊厳を示した点で、世界の誰よりも人々を鼓舞したことだ。マンデラ氏は、すべての男女は生まれながらにして平等であるという信念のために、27年以上を獄中で過ごした。

 ロベン島の刑務所に収監されていた苦難の時代には、マンデラ氏は鉄格子の中にいながら、持ちまえの忍耐力とユーモア、許しの力のおかげで、彼をそこに閉じこめ、自らの品位を落とす偏見に縛られた者たちよりも、むしろ自由に見えた。それどころか、マンデラ氏の看守たちは、後に彼の最も熱烈な支持者となった。

 2つ目の大きな功績は、南アフリカの変革を指揮監督し、汚らわしさと狭量さの代名詞だったこの国を、少なくとも方向性としては、すべての国民が肌の色にかかわらず敬意をもって扱われる権利を持つ「虹の国」へと変えたことだ。これはほとんど奇跡と言える偉業だ。

肌の色という呪いの払拭

 マンデラ氏は政治家として、そして人間として矛盾を抱えていた。天才でもなければ、自らしばしば口にしていたように、聖人でもなかった。初期の著作の中には、当然の怒りに満ちてはいたものの、平凡なマルクス主義をとりとめなく書き連ねたものもある。だが、そのカリスマ性は、若いころから歴然としていた。

 マンデラ氏は生まれついてのリーダーで、誰をも恐れず、どんな人の前に出ても品位を落とさず、ユーモアのセンスを決して失わなかった。堂々として、あるがままの自分を受け入れていた。人種的優越性という神話が法制化されていた国にあって、自分と、すべての同国人に、平等な扱いを受ける権利があることを決して疑わなかった。

 それに劣らず目を引くのが、国民の多数を占める黒人が発言権を得た後も、白人の同国人が平等な扱いを受ける権利を持つことを決して否定しなかったことだ。1990年の釈放まで、白人の人種差別主義者たちから数々の辱めを受けたにもかかわらず、復讐の欲望に駆り立てられたことは1度もなかった。偏見を全く持たない人だった。だからこそマンデラ氏は、世界中で寛容と正義の象徴になったのだ。

 恐らく、南アフリカの未来にとってさらに重要な意味を持つのは、マンデラ氏の深く考える力、そして考えを改める力だろう。マンデラ氏が釈放された時、アフリカ民族会議(ANC)の仲間の多くは、後ろ盾であったソビエト連邦が奨励する主義を信じたままだった。だが、ソ連崩壊は、世界のパワーバランスを変え、ひいてはアパルトヘイトの終焉を後押しした。