(英エコノミスト誌 2013年10月19日号)

科学研究は世界を変えてきた。今度は科学自身が変わる必要がある。

 科学を支えているのは、「信用せよ、だが検証せよ」というシンプルな考え方だ。研究結果は、常に実験による検証を受けなくてはならない。そのシンプルだが強力な考え方が、膨大な量の知識を生み出してきた。17世紀に登場してからというもの、現代科学はこの世界を見分けがつかないほど、しかも圧倒的に良い方向に変えてきた。

 だが、成功は時に自己満足を生む。現代の科学者は、過剰に信用しすぎる一方で、検証作業は十分に行わない。それが科学全体に、そして人類全体に損失をもたらしている。

 今の学術界は、いいかげんな実験やお粗末な分析を基にした研究結果があまりにも多く氾濫している。バイオテクノロジー関連のベンチャーキャピタリストの間には、「公表された研究の半分は再現不可能」という経験則がある。それさえも楽観的かもしれない。

 バイオテクノロジー企業のアムジェンの研究者が昨年実施した調査では、がん研究分野の「画期的な」研究論文53本のうち、再現できたのはわずか6本だった。それ以前に製薬会社バイエルの研究グループが行った調査でも、同様の重要論文67本のうち、わずか4分の1しか再現できなかった。ある著名なコンピューター科学者は、自分の専門分野で発表される論文の4分の3はでたらめだとこぼしている。

 2000年から2010年にかけて、およそ8万人の患者が、のちに誤りや不適切さを理由に撤回された研究に基づく臨床試験の被験者となっていた。

大量のゴミ論文

 研究の大半は、製品が市場に出回るよりはるかに前の段階にあるため、人命を危険にさらすほどの影響は出ない。だが、たとえそうだとしても、資金や、世界でも最優秀の人材の労力は浪費されている。科学の進歩が阻害されている機会費用を数値化するのは難しいが、恐らく膨大な額に上るだろう。そして、その額は膨らんでいる可能性がある。

 その理由の1つが、科学の世界の競争だ。現代の学術研究は、第2次世界大戦での成功を経て今の形を取るようになった1950年代には、まだ高尚な楽しみにすぎなかった。科学者の総数は数十万人程度だった。その数が増えるにつれて(最新の推定では、現役の研究者は600万~700万人)、科学者たちは自己管理と質の管理を大切にするかつての気質を失ってしまった。

 「消えたくなければ論文を発表せよ」という義務感が、学究生活を支配するようになった。職を巡る競争も熾烈だ。米国では、2012年の正教授の平均年収は13万5000ドルだった。これは判事の年収よりも多い。毎年、新たに博士号を取得した研究者6人が1つの研究ポストを奪い合う。

 昨今では、検証(ほかの人の研究結果の再現)の業績は、研究者の昇進にはほとんど役に立ない。そして、検証が行われないために、疑わしい研究結果が生き続け、科学を誤った方向へ導くことになる。