(英エコノミスト誌 2013年8月17日号)

エジプト軍による嵐のような殺戮は、アラブの春で得た教訓を顧みず、頭から否定するものだ。

エジプトのモルシ派強制排除、世界各国が非難 死者578人に

カイロ市内に作られた仮設の遺体安置所で、治安当局によるデモ隊の強制排除により亡くなった人の死を嘆く人々〔AFPBB News

 エジプト軍の1人の将軍が、大半の国民の喝采を浴びたクーデターでムスリム同胞団を政権の座から追放し、同将軍が支配する暫定政府が誕生してからわずか1カ月半にして、エジプトがまたもや暴力に包まれている。

 8月14日、武装した治安部隊が上空のヘリコプターと街頭のブルドーザーの援護を受け、カイロのモスクおよび大学の周辺で座り込みを続けていた数万人の同胞団支持者を攻撃した。死者は数百人に上り、3000人近くが負傷した。

 騒乱はアレクサンドリアやスエズといった他の都市にも広がった。怒ったイスラム教徒が、多くのキリスト教教会に放火した。

 暫定政府は複数の県で夜間外出禁止令を出し、エジプト全土に1カ月間の非常事態宣言を発令した。非常事態宣言が出されるのは、ホスニ・ムバラク氏がアンワル・サダト氏の暗殺後に大統領となった1981年以来のことだ。その時の非常事態宣言は、以後30年にわたって出されたままだった。

 暫定政府は8月第3週に「最大限に自制した」と抗弁した。だが、死者が出ることも厭わずに自国民に対して武力を行使するという選択は、残忍かつ無謀な行為だった。この殺戮は、国民の支持を得たクーデターの最終章を紡ぐどころか、持続的な衝突を招き、エジプトを内戦に引きずりこむ恐れがある。

 最悪の場合、アルジェリアの二の舞いになるかもしれない。アルジェリアでは、1991年の選挙の第1回投票でイスラム政党が勝利したが、軍がクーデターにより選挙を中止し、以後10年にわたる血みどろの内戦で20万人もの死者が出るに至った。

 ありがたいことに、エジプトはまだ、そのような運命に至るはるか手前にいる。だが、8500万人のエジプト国民の間に走る亀裂は、1953年のエジプト共和国成立以来最も深くなっている。問題は、抑圧という手段が本当にムスリム同胞団への対処法となるのか、それとも単に暴力を増長するだけなのか、という点だ。

ナイルに死す

 ムスリム同胞団にはそもそも、権限を共有したり、選挙で政権の座を手放したりする気はなかったとする見方がある。ムハンマド・モルシ氏の大統領としての手腕がひどいものだったことは、疑いようがない。モルシ氏は有効票のおよそ4分の1を獲得しながら、民主主義のあらゆる規範を愚弄する方向へ進んでいた。

 モルシ政権は憲法起草委員会をイスラム主義者で固め、十分な合意もなく選挙法などの法律の制定を急いだ。イスラム教の少数宗派や800万人あまりのキリスト教徒に対する偏狭な嫌悪感が高まるのに歯止めをかけようとしなかった。そうしたことが、経済面でのまったくの無能さと相まって、一般国民の間でのモルシ氏の支持率は壊滅的に低下した。