なぜ、失言や暴言がこれほどまでに目立つ社会になっているのだろうか。

 最近では復興庁の谷公一復興副大臣が頭を下げる事態にまで至った同庁参事官のツイッターでの不適切な発言など、政治家や著名人の失言や暴言が頻発していることが話題となっている。

歴史に残る失言も“つぶやき”だった

 これだけ集中的に失言や暴言がニュースになると、確かにそれらが物理的に増えているように感じられなくもない。しかし、いまの社会で本当に失言や暴言が増えているのかというと、実はそうとも言えないのではないかと思っている。

 実際、これまでの歴史の中で政治家や影響力のある人々が公の場で数々の失言を重ねてきた。数はさることながら、それが社会へ与えた影響たるもの、いまワイドショーを賑わしている失言事件の比ではなかったりする。

 その昔、ひとつの失言が大きな金融恐慌を引き起こした。

 1927年3月から発生した昭和金融恐慌は、同年3月14日の衆議院予算委員会の際の片岡直温蔵相の失言をきっかけに金融不安が表面化し、中小銀行を中心に取り付け騒ぎが起こったことに端を発している。

 東京渡辺銀行が破綻したという事実とは異なる発言により、預金者の不安が一気に広がり、中小銀行に殺到し預金が引き出された。たった一つの失言が大きな恐慌を生み出すきっかけになったのだから、もはや、「すみません、失言でした」と言い訳のできる次元ではない。

吉田茂のバカヤロー解散は“つぶやき"から始まった(写真はウィキペディアより)

 また、1953年2月28日の衆議院予算委員会において、当時の吉田茂首相と右派社会党の西村栄一議員の質疑応答中、吉田首相が西村議員に対して「バカヤロー」と暴言を吐いたことをきっかけに衆議院が解散されるまでに至ったこともある。このバカヤロー事件(解散)なども、うっかりではすまない失言だ。

 ちなみにこのバカヤロー事件、吉田首相が大声で叫んだ訳ではない。吉田首相が席に着いた際にとても小さな声で「ばかやろう」と“つぶやいた”だけだった。そのつぶやきを偶然マイクが拾い、気づいた西村議員がそれをとがめたことで騒ぎに発展したのだ。