経営力がまぶしい日本の市町村50選(13)

 経営力がまぶしい日本の市町村50選の13回目は福岡県の飯塚市を取り上げる。麻生太郎・副総理兼財務大臣の地盤で知られる。2006年に周辺の4町と対等合併して現在の飯塚市となった。人口は約13万1000人で、福岡県では4番目に人口の多い市町村となった。

 市町村の合併は机上の計算と裏腹な結果を招くことが多いが、財政健全化など経営力強化に果敢に取り組み着実に成果を生み出している。それについては次回、齊藤守史市長のインタビューに譲るとして、今回は飯塚市の成長戦略をお届けしたい。

 これが、なかなか強気のタイトルなのである。「アジアのシリコンバレーを目指す」というのだ。

 米国のシリコンバレー地域と言えば、世界中の人が知るIT産業のメッカ。アップルをはじめグーグルやインテル、ヤフーなどが本社を置く。滞留のない新陳代謝を繰り返し、新しくて元気な企業がいまでも最も多く生まれている地域である。

 そのシリコンバレーに、飯塚市がいくつかの点で似た環境にあることは間違いない。例えば、政治の中心とは最も遠い距離にあること、優れた大学を中心として研究環境が整っていること、多様な文化を受け入れられること・・・。

 また鉱山がかつては人々を集めたという歴史にも類似点を見出せるかもしれない。ただし、環境が似ているからと言って同じようにIT産業のメッカになれるほど甘くはない。

 では具体的にどのように取り組むのか。シリコンバレー構想の旗振り役の1人であるハウインターナショナルの正田英樹会長に話を聞いた。 

就職活動から一転、地域との関わりを深める中で起業へ

正田 英樹 ハウインターナショナル会長。チャレンジ・コミュニティ・パートナーズ社長、九州工業大学大学院情報工学研究院の客員教授、NPO法人ETICフェローなども兼務する

川嶋 正田さんは飯塚市を「アジアのシリコンバレー」にしようという志を持って1999年に起業したそうですね。その経緯から教えていただけますか。

正田 私は山口県光市の出身で、飯塚市には九州工業大学の情報工学部に入学したときにやって来ました。

 在学中には特に起業するつもりはなく、ある大手電機メーカーから内定をもらっていました。ところが、卒業できなかったんです(笑)。

川嶋 なぜですか。

正田 私は学生自治会の会長をやっていました。それで学内だけではなく地域の人たちともさまざまな活動をしていて、あまり勉強をしていなかったんです。

 そのころ出会ったのが、もう亡くなられましたが、二瀬公民館の原一久館長です。もともと飯塚市の職員だったんですが、生涯学習をやりたいということで、少し早く退職されて公民館に来られていました。