今回の米国大統領選挙は、大方の予想に反してあっけなく終わってしまった。

 前回、オバマ大統領を選んだ選挙が「希望」に満ちていたのに対し、今回の選挙は「絶望」の中の究極の選択のような雰囲気が漂っていた。

 現在、米国はもちろんのこと、ヨーロッパも日本も、悲観に蝕まれている。今回の選挙も、総評としては「内容が薄い」「論点が不明確」とされ、オバマ大統領の再選によって一体なにが変わるのか、というシニカルな見方が蔓延している。

 本当にそうなのか? 

 慢性的な懐疑主義に陥ってしまった自身の視点を変え、新たな気持ちでこの選挙の結果を考えてみた。

 そして、オバマ大統領が率いる米国の未来には、やはり「希望」があると感じた。その希望が即座に国民の日常生活を向上させることはないかもしれない。しかし、アメリカンドリームは健在なのだと再認識させられるものだった。

理解し難い米国人の言動

 とはいいつつも、選挙運動の期間中は、米国人というものが分からなくなることがよくあった。

 例えば、共和党員や支持者からしつこく出た「オバマ大統領ケニアで出生説」である。大統領になる資格の1つに、米国内で生まれた市民でなければならないと憲法に定められている。オバマ大統領がハワイで生まれたというのは嘘で、父親の故郷であるアフリカのケニアで生まれたので、実は大統領になる資格がないという主張である。

 ハワイの当局もホワイトハウスも出生証明書を公表したが、「ケニア出生説」の主張者たちは、書類は偽造されたものだと信じなかった。一時は、国民の4分の1が本気で信じ、共和党の大統領候補選では、ほとんどの立候補者たちが「ケニア出生説」を支持していた。

 医療保険制度改革問題についても、反対意見を聞きながら幾度もため息が出た。

 これまでの民間保険会社ベースの医療保険は、各保険会社の意向が強く、値段も高く、一度大病をすると破産に追い込まれるような理不尽さがあった。それを国民皆保険制度に変え、より多くの病人を救おうという、これ以上ないほど分かりやすい理論は、なぜか米国人には通用しないのである。