北米報知 2012年9月20日39号 

 第二次世界大戦後、原爆被爆者たちのために家を建設した、シアトルの平和活動家故フロイド・シュモー博士やシアトル日本人バプテスト教会のエメリー・アンドリュース牧師ら米国人。彼らの功績を讃える会館「シュモーハウス」が11月1日に開設されるにあたり、当地日系社会を中心とした使節団が訪れ、広島市民と交流することになった。

1951年当時のシアトル・タイムズ紙の記事。左下がシュモー博士。右上がアンドリュース牧師

 平和活動家として戦争反対の意思を貫き、戦後も被爆地の復興などに尽力を果たしたシュモー博士。

 戦時中、自らアイダホ州に居を移し、日系人収容所内での礼拝サービスを続けたアンドリュース牧師。

 両名ら米国人支援者は1949年から53年までの毎夏、日本に渡り、被爆者のための住宅建築に自ら携わった。その数は住宅、集会場など21軒になる。

 現在までは51年建設の集会場1軒のみが残され、「シュモー会館」として地元住民に親しまれてきた。市内幹線道路建設で移転・保存の計画が進められ、40メートル北西先に建物修繕などを済ませた形で移される。

 広島原爆資料館の付属展示施設として「シュモーハウス」と名称を変え、戦後海外から訪れた復興支援者の資料や歴史を展示する博物館となる。

 開館式典は11月1日に予定され、シュモー博士の縁者や日本人バプテスト教会関係者らアンドリュース牧師と縁ある地元日系関係者が使節団として訪れる。

広島市内に建つシュモー会館。移転後シュモーハウスとして日本復興に携わった海外支援者の軌跡を伝えていく。写真提供=ブルックス・アンドリュース

 使節団メンバーのハーブ・ツチヤさんは、「自らの行動で支援を実践した象徴的な例。広島との繋がりを再構築して、当時の記録を後世に残したい」と話す。訪問先ではプレゼンテーションなどを行い、シュモーハウス関係者との交流を図る。

 アンドリュース牧師の息子でブルックス・アンドリュース日本人バプテスト教会牧師は、「戦争に関わらず、平和活動に尽力したシュモー博士や父の思いが、これからも残り続けることになります」と謝意を表し、博物館を目にする日を心待ちにしている。 

 広島特別名誉市民として讃えられたシュモー博士は、ワシントン大学近くに平和の象徴的存在であるサダコ像とともにシアトル平和公園を建設するなど、生涯を通じ平和活動を続けた。その心はシアトルに深く根付いている。

 使節団訪日を前に、日本人バプテスト教会でシュモーハウス運営への寄付を目的とした音楽祭が催される。9月30日午後3時から。詳しくは(206)622-7351、ウエブサイトまで。

(佐々木志峰)

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